人生の雑記帳

思ったこと。気付いたこと。疑問。後悔。思い出。忘れたくないこと。そんなことを書き留めよう。

あの日の記憶・・・妻の怒り爆発!初めて子供が産まれた日の失態!

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」。

 

記憶に残るあの日、なんてのはたくさんある。

多くの人にとってはそんなもんだろう。

その中から1つ思い出すとしたらどれだろう。

過去記事で書いてきたことも結構「あの日の記憶」っぽい内容が多いな。

プロレス関係の記事なんかもそうだし、恋愛関係も全部そうだ。

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そのへんで触れてない、大人になってからの「あの日」を探すことにしてみよう。

・・・これだ。

初めて子供が産まれた日のこと。

親になったことがある人なら誰にでもある日だ。

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うちは妻の実家が遠くて東北地方にある。

当時私たちは北関東に住んでいたのだが、どんだけ急いでも5時間はかかる距離だ。

初めてのお産のとき、妻は里帰り出産を選択した。

自分の両親のもとで心と体の準備をし、いざとなれば心強い母がそばにいる。

これから母親になろうという人にとってはこれ以上ない環境だろう。

そしてその瞬間私は父親になるわけだが、自分で産むわけじゃないせいか

どうもその覚悟が妻に比べたら緩かった。

そう反省する出来事があったのだ。

 

妻が実家に戻ってから1ヶ月半ほど過ぎた頃。

私は久々の独身ライフで自分のためだけに時間を使えるありがたさを満喫していた。

予定日が近づいてきて、妻から1本の電話があった。

「そろそろ産まれそうなんだよね・・・明日の朝一番で来てくれるかな」

時間にして深夜1時。

妻は立ち会い出産を強く希望していた。

だから間に合うように来て、という要望だ。

だが私は誰から聞いたのか「そんなすぐには産まれない」とタカをくくっていた。

だから始発の新幹線に乗ることもなく、朝になってから出発の準備をゆっくりと始め、

結果的に昼頃の電車に乗っていた。

妻が入院していた病院に到着したのは実に午後5時を過ぎていた。

何の根拠もなく今日の夜くらいに産まれるんだろう、って思い込んでいた。

で、居室に向かう途中で義母がこちらに向かって歩いてきてるのが見えた。

そして開口一番私に向かって言った。

「産まれたよ〜」

うそ、もう?

「12時頃ね」

え、こっちが出発した頃じゃん・・・

とんでもないレベルの遅刻をやらかしてる。

立ち会いどころか、産まれて一息ついた後だった。

居室フロアの廊下にガラス越しに新生児が見えるところがあり、

そこに1人の乳児が入ってるのが見えた。

なんか"展示されている"みたいだ。

なんか名札がついてるな。

ありゃ、妻が産んだ子だよ。

なんか不思議な気分。

自分は今初めて会ったこの子の親なわけか〜。

そしておそるおそる居室に入る。

久々の妻との再会。

その妻のひとこと目。

 

「遅いってー!」

 

産まれて5時間近く経ってからノコノコ来てんだもん、当たり前だな。

子供が無事産まれた喜びを分かち合う前に、妻からその日の行動を事情聴取された。

一番怒られたのはノンビリ出発したことと並んで、最寄りから病院への交通手段だ。

駅からはタクシーもあるんだが、私はたまたま停まっていた路線バスに乗ったのだ。

もちろんタクシーは高いしな、というのが理由だ。

だが妻はそれがとにかく許せない。

 

「一刻も早く病院に向かうのが当たり前なのに、なんでバス選ぶかなあ!?」

 

私はもう無事に産まれたんだからいいじゃない、とごまかそうとしたんだが、

妻は全然許してくれない。

母はついててくれたけど、初産でどんだけ怖くて不安だったか想像しろやゴルァァ!

ということらしい。

はい、言われてみればその通りです。

想像力が全然足りなくてすみませんでした。

病院についてから30分くらい怒られっぱなし。

義母はただ私たちのやり取りを笑って見てるだけ。

さすがに余裕あるな・・・

 

一通り謝ってようやくその場は収まり、やっとのことで2人で産まれた子を見に行く。

前夜からのいきさつ、産むときの辛さ、母の支えに助けられたこと。

たくさん話をしてくれた。

当たり前だろうがこの日は私より妻にとってより強く記憶に残ってるんだろうな。

そして思い出すたびに私への怒りが蘇るんだろうな。

だって今でも子供に産まれた日のことが話に出るときには必ず

この話を持ち出してディスってくるから。

あんだけ謝ったんだからもう許して下さい・・・

「完食指導」は是か非か? -昭和の食育を思い出してみる。

今日のネットニュースに出てたんだが何やら「会食恐怖症」という病気があるらしい。

人と食事をすることになったとき

「全部食べられるだろうか?」

「残しちゃ失礼だ」

などと考えてしまい恐怖や不安、吐き気などの体調不良を引き起こすんだそうだ。

原因はいくつかあるんだろうが、主たるものは日本に蔓延る「完食指導」らしい。

残すのはもったいない、という自分自身の判断で無理して食べることもあるが、

多くは学校の先生や親からの高圧的な指導によるものだ。

苦手なものはなかなか喉を通らないから、どうしても時間がかかる。

給食の時間が終わり、昼休み⇒掃除の時間になっても食べさせられる。

果ては午後の5時間目が始まっても食べ終わるまで晒し者にされる。

これはもう指導とかじゃなく拷問、イジメに等しい。

現代は最初に減らしてもいいとか残しても可とか柔軟になってきたみたいだが、

子供には苦手なものって多いし、牛乳なんて最たるものじゃないだろうか。

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私が子供の頃もそんなトンデモ指導が日常的で当たり前にあった。

先生による体罰・・・いや暴力が普通にあった頃なのでさもありなんだ。

加えて私自身の好き嫌いも多く、さらに給食も牛乳もとにかく「マズい」。

パンなんてもう固くて固くて石膏でも入ってんじゃないかと疑うくらいだ。

毎日隠れて8割方残しては犬にやってたもんだ。

さすがに5時間目まではなかったが、何度か掃除時間まで残された経験はある。

 

私は鶏肉の皮が大の苦手だった。

これは今も変わらない。

嫌いなものが入ってるメニューの日に限って、たくさん盛られてるものだ。

ひとつずつ息を止めて流し込むわけだが、やっぱり苦手なものはそれでもキツい。

想像するだけで戻しそうになり、全然量が減らない。

食べ切ろうと努力することよりも、ただ周りの視線に耐え続けて

先生が「もういい」と言ってくれるのをじっと待っているだけの時間だ。

何の食育にもなっていない。

 

もうひとつ記憶にあるのがさらに酷いものだ。

給食ではパンにつけるマーガリン(納豆についてるからしみたいな袋入りのやつ)が

1つついてくるんだが、脂っぽいだけでつける気すらしない代物だ。

その日もパンと一緒にマーガリンも巾着に入れて持って帰ろうとしていたのだが、

運悪くその瞬間を担任の先生(女・・・いやバ〇ア)に見つかってしまった。

感じからして50前後の人だったと思うが、とにかく底意地が悪く、

保護者からの評判も最低レベルの担任だ。

私に歩み寄った先生は言い放つ。

 

「今隠したものを出しなさい」

「持って帰るのは許しません」

そしてあろうことか

 

「今すぐここで食べてしまいなさい」

 

当時の私は小学3年生だ。

まだ体罰も当たり前のようにあり、先生に言われたことには従うしかない。

反発したらビンタが飛んでくることがわかっていたからだ。

私は先生に言われた通り、マーガリンの封を切って口に含んで食べ始めた。

想像すればわかると思うが、マーガリンなんて単体で食べるもんじゃない。

それを子供に無理やり食べさせるのだ。

何口か食べたところで当然ながら気持ち悪くなる。

半分くらい頑張って食べただろうか。

先生がいなくなった隙に残りは捨てた。

その日の午後はもう口の中がとにかく気持ち悪くて仕方がなかった。

何度も水をガブ飲みしたが、口の中からなかなかマーガリン臭が消えない。

元に戻るまでに2日くらいかかっただろうか。

あの先生の悪行は他にもいっぱいあるが、このときの仕打ちは忘れられない。

このあたりの先生の考え方は上官の命令は絶対服従の戦中の思想に近いな。

 

食べるものについては残さないことよりも食べ切れる量にすることの方が大事だ。

勝手に山のように盛っておいて「残すなよ」はないよな。

逆に食べ放題で残すのはもってのほかだ。

自分で食べたいものを好きな量だけ取ってきてるんだから。

かと思えば中国なんかでは残すことが礼儀、みたいな文化がいまだにある。

食べ切ってしまうと「足りないよ」という意味になってしまうという考え方だそうで。

どっちも極端なんだよな。

日本でも各自が食べられる量を、っていう給食指導が増えてきたし

中国でももっと食べるものは大切にしようよ、という考えが広まってきてるらしい。

ようやくこういう問題の落としどころを見つけつつある、ってことなんかな。

私のプレイリストは90年代一択!

今週のお題「わたしのプレイリスト」。

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プレイリストって言葉は昔からあるけど、昨今のはどうやって作るのかサッパリ。

でもオンラインで全部事足りるし、スペース取らないから楽になったんだろうな。

私が現役(何の?)の頃ってやっぱり90年代ってことになる。

当時はCD全盛期で音楽業界がもの凄く活況だった時代だ。

人気に火をつけるメディアも今と違ってTVが主流だったので

ドラマやCMのタイアップ曲中心にバカみたいに売れた。

バブルといえばバブルだが、曲そのものも今聴いても全然古臭さを感じない。

B'z、ZARDMr.Childrenなんかがその代表格だ。

 

あの頃は音楽を聴こうとしたらCDを買うか借りるかしかなかった。

で、気に入ったものはカセットテープに落とす。

こうしてできた幾多のカセットから「ダビング」という名のコピー作業をすることで

自分のオリジナル「プレイリスト」を作るのがお決まりだった。

 

車の中にも何本もその「プレイリスト」が入っていたものだ。

でも頭出しができないし、中途半端にテープが余るのも非常にめんどくさい。

1本のテープでA,B両面に録音できるので、いかに時間ピッタリにするかを計算して

曲の割り振りや順番を考えたりしたものだ。

 

で、今頃になって私もCDとかネットで拾った曲を集めてプレイリストを作ってみた。

しょっちゅう車で出かけるので、そのとき用にだ。

今のプレイリストってストリーミングが多いんかな?

そうだとしたらは今の主流ではないことになるんだが、私は完全ダウンロード派だ。

データはローカルにある方が安心感がある。

完全にアナログ人間の思考だな。

PCに落としたものをSDカードに移植して車で聞く。

昔のCDラジカセがPCに、カセットテープがSDカードに変わっただけ。

でも頭出しできるし順番替えられるし余りを気にしなくていいし隔世の感がある。

まあそんな時代遅れの感慨にふけるのもほどほどにしよう。

作ったプレイリストを改めて眺めると、やはりほぼ全曲が90年代になってしまう。

やっぱり多感な時代によく聞いていた曲はずっと変わらず好きなままなんだろう。

プリプリ、B'z、ZARDイエモンユニコーン、マニッシュ、ブーム、森高、

ジュディマリaiko、PSY・S、安室、マイラバ、このへんまでで9割方埋まる。

懐かしさだけじゃなく、やっぱり今でも十分通用する曲ばかりだと思える。

小室哲哉小林武史織田哲郎の力が大きかったんじゃないかな。

 

高校生の上の娘もしょっちゅうそんなプレイリスト作ってるっぽい。

曲買うとき私のカード決済にしてるからだいたいわかるのだ。

買った分は後から現金で請求する。

1円たりとも取り逃がさない、親子であってもビジネスだから厳しくいく。

でもいつも末娘に多めにお駄賃あげちゃってることの説明がつかんか・・・

 

とにかく自転車通学中に聴くんじゃないぞ!って言わないとな。

子供同士のケンカ。 -どこからが正当防衛か?-

人を殴るのは良くない。

暴力はやめた方がいい。

理性のある人間なのだから当たり前のことだ。

 

数年前の話だ。

子供同士のケンカがあった。

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一方の子は手を出さずにやられっ放しだ。

最終的にはスキを見て逃げ帰った。

親ともども私がよく知ってる子だ。

その子の親の教育方針は「絶対に手を出すな」だ。

暴力には絶対に手を染めない、という強い意思があるんだろう。

だからこそやられっぱなしだったのだろうが、果たしてそれで良かったのか?

最初に自分から手を出さないことは自分の意思でできるからいいが、

相手から先に手を出された場合、ただひたすら辛抱することが是なんだろうか。

 

自分から人を殴るべきじゃない、でも殴られたら反撃はしていい。

私は自分の子にはそう言ってきた。

積極的に手を出しちゃいけないが、正当防衛は認めるということだ。

これを認めてあげないとサンドバッグにしかならないし、

やる側も次からナメてかかる危険性もある。

話し合いで解決するのが理想だが、子供のやることだ。

「こいつ、怒らせるとやり返してくるな」

と思わせることも十分抑止力になる。

幸い殴り合いになるようなケンカになったことはなかったが、

私は学校でも子供に非があれば先生にゲンコツもらうくらいはあっていいと思う方だ。

もちろん生徒が先生を信頼していることが前提だが、

ジェンダー論やTVや本なんかの規制もそうだが、

どうも世の中反対側に振り切りすぎている。

昭和の女は三歩下がってとか、あまりにも過激なTV放送は言語道断だとは思うが、

体罰も男女平等もちょうどいい落としどころを通り過ぎてる気がしてならん。

ちょうど振り子が行ったり来たりし始めてる途中なのかもしれんな。

 

話が大きくなってしまうが、日本が中国とかに攻め込まれたらどうやって守るんだろ。

暴力は絶対しません、で守り切るつもりなんだろうか。

やっぱり反撃できるだけの力は持っておいた方がいいと思うんだけどなあ。

雨の日・・・それは子供にとって夢の世界。

今週のお題「雨の日の過ごし方」。

 

自分自身は晴れても雨でもおんなじ。

インドア派だから。

晴耕雨読じゃなくて晴読雨読。

本なんてめったに読まないけど。

 

でも子供が小さい頃は違った。

晴れてる日は当たり前だけど、雨の日こそ外で遊ばせたものだ。

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他にだ~れもいないから、周囲を気にせず遊べるのだ。

親は傘さしたりして体温維持に努めるが、

子供にはずぶ濡れになっていいから遊んでおいで、って野に放つ。

カッパ着せても邪魔なだけで意味もないので普段着のまま。

するといつも以上にはしゃぎ倒す。

普段できないことができるのが嬉しいんだろうな。

よく遊んでいた公園にある砂場は、周辺より少し掘り下げてあったため

雨が多めに降るとプールみたいに水がたまる。

最初は長靴のままじゃぶじゃぶ入り、そのうち裸足になり

最後は服着たまま泳ぎだす。

これがまた実に楽しそうだ。

土砂降りの中、きょうだいでハイテンション野球やってたこともあったな。

ゴロ打つと水しぶきがあがり、すぐ止まるボール。

普段はやらないヘッドスライディングもぬかるんでるから嬉々としてやっちゃう。

通りかかった人からみれば「何やってんのあの親子」だっただろうが

こういうときこそ親は発想の転換だ。

そりゃ濡れない方が世話かからんし楽だけど、

最初からずぶ濡れ前提で外に出てるわけなので全然気にならないし

逆に目一杯汚してこい、って開き直れる。

寒いって言い出したらすぐ帰って風呂に入れればいい。

ドロドロになった服や靴はあとで洗えばいい。

出先だったら着替えさせてリフレッシュすればいいのだ。

雨上がりとかに子供が水たまりで遊ぼうとして母親に止められるのを何度か見た。

 

「汚れるでしょ」

「靴が濡れちゃうでしょ」

 

子供はそういうことこそやりたがるもんなんだけどなあ。

止めるより汚れても、濡れてもいいように親が考えてあげる方がずっといい。

「北風と太陽」の太陽っぽい考え方だな。

サンダル履かせるとか替えの靴準備しとくとか着替え常備しておけば

なんぼでも好きに遊ばせられんのに、もったいないなあっていつも思ってた。

そういう遊びをさせたくない理由って子供のためじゃなくて親の都合だからね。

 

子供にとって雨の日の外遊びは非日常の世界。

好きなようにやらせておいて良かったと思う。

さすがに今はもうやれって言ってもしないだろうけど、

子供が大人になったときに思い出して懐かしがってくれたらいいなあ。

相続の手続その② -役所・インフラ・カード関係-

↓ 前回のお話

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葬儀がひと段落したら次に待っているのが遺産の整理だ。

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金銭や不動産、有価証券はもちろんだが、故人が生前に契約していたサービスや

定期購入していたものなんかの解約もその中には含まれる。

とにかくその人がいなくなったのに放っておくとまずいもの全般の整理だ。

カテゴリ別にひとつずつ振り返ってみようと思う。

なお、いろんなところで母が亡くなったことの証明として死亡診断書の提出を

求められたので、斎場でコピーしてもらったものがここで役に立つ。

 

クレジットカード

これはもうひとつひとつしらみ潰しに電話して解約手続きを進めるしかない。

当然、生前にカードを何枚持っているのかを知っておく方が望ましい。

だいたいの場合、カード会社に事情を話せば電話で解約できることが多い。

但し、定期的な支払がカードで行われている場合、それを知らずに解約すると

後から請求書が書面で送られてきたりするので、そこは注意が必要だ。

 

ポイントカードや会員証

ドラッグストアのやつなんかは放っておいても特に問題はないが、

年会費を支払って加入しているものだと金も無駄にかかるし解約しておいた方がいい。

某百貨店で結構な金額が積み立てられたポイントカードがあることがわかったのだが、

そこは電話ではダメだったので、いちいち店舗まで足を運ばないと解約できなかった。

そういう変化球が含まれている場合もあるので1枚ずつ慎重に調べた方がいい。

 

携帯電話

キャリアの販売店に本体を持って行って手続きするほかない。

 

電気やガス、水道の支払い

亡くなった人のクレジットカード決済や口座引き落としになっていた場合、

同じ家に誰かが住み続ける場合には、居住者の誰かの口座に変更が必要だ。

私の場合は母のクレジットカード決済になってたため、

父の口座からの引き落としに変更した。

インターネットのプロバイダ料金なんかも考え方は同じだ。

誰も住まなくなった場合もこういうインフラはすぐ止めない方がいい。

何度も足を運んで遺品整理とかするときに必要だからだ。

 

生命保険

亡くなった人が「被保険者」だった場合は保険金が下りるので忘れずに手続きする。

亡くなった人が「契約者」だった場合は相続が必要。

亡くなった人が「受取人」だった場合は受取人の変更が必要。

要は加入している保険のどこかに亡くなった人の名前がある場合は手続きが必要。

とにかく保険会社に電話することだ。

亡くなった後に本人がどんな生命保険に入っていたかを把握するのは結構大変だ。

私も家の中をひっくり返して保険証券を全部改めてようやく整理できた。

生前に本人に確認しておくのが一番だ。

このあたりの生命保険に関する考え方については別の記事で書いてみたいと思う。

 

年金

受給者が死亡したことを伝えなければ不正受給につながる。

だが、亡くなった月の分までは受給されるというルールがある。

亡くなると同時に原則的に銀行口座は凍結されるので、

最後の1回だけは別の口座に入金してもらわないといけない。

私は父の口座に入金してもらうことにした。

そのために父の認印、戸籍謄本、世帯全員の住民票、母の住民票の除票、

新たに指定する口座の通帳、なんかを年金事務所に持参する必要があった。

これらの書類はいずれも亡くなった人の年金を代わりにもらう資格がある人だと

いうことを証明するためのものだ。

最初に役所にいって必要な書類をもらい、それから年金事務所で手続きした。

年金事務所は役所とは違う民間組織なので、離れていると移動が面倒。

時期にもよるんだろうが、結構混雑していることが多い。

しかも相談は予約制とか、飛び込みにはかなり冷たい。

杜撰な年金管理がたびたび槍玉にあがる組織なだけにこちらの見る目も厳しくなるが、

余裕をもって手続きに臨んだ方がイライラしない。

 

高額医療補助金の入金口座の変更

日本の医療制度では、患者本人の医療費の負担が一定額以上になると

補助が受けられる高額医療補助制度、というものがある。

もちろん全員が死亡時に高額医療を受けているわけではないが、母は適用対象だった。

一度全額自己負担してから後から補助金をもらう場合と、

「限度額適用認定証」を事前に発行してもらい、最初から支払額を抑える、という

2つのパターンがあるが、幸いまとまったお金があった母の場合は前者だった。

最後の月の分は亡くなった後で入金されることになるため、

その補助金を振り込んでもらう口座を指定し直す必要がある。

これは役所の仕事。

新しく指定する口座の通帳と名義人の通帳があればOKだ。

 

葬儀費用の補助申請

これも役所で申請できる公的補助だ。

申請しないともらえないので、是非利用しよう。

健康保険の種類によって金額が違うみたいだが、私の場合は5万円だった。

必要なものは亡くなった人の健康保険証(国保後期高齢者医療制証など)、

葬儀の領収書(喪主が誰かわかる方がいい)、喪主の印鑑、入金する通帳だ。

これが終わると故人の保険証はいらなくなるので役所に返還していい。

介護保険者証なんかもこのときに一緒に返してしまってOK。

 

あとは斎場への葬儀費用の支払いや病院への医療費の支払いくらいだが、

場合によっては故人の財産で仏壇や墓地を購入したいという人もいるだろう。

 

ここで注意が必要なのは、人が亡くなると結構なお金が必要になるという点だ。

合わせて100万円単位になることも全然珍しくない。

香典をそのままこれらの支払いに充てても良いのだが、

銀行へ口座名義人の死亡連絡をする前に必要なお金は引き出しておいた方がベター。

一番は生前に故人と合意してあらかじめ引き出しておくことだ。

生きているのに死んだ後の話をするのは気が引けるとは思うが、これが一番いい。

ルール上は口座名義人が亡くなったら遺族は速やかに銀行に連絡しなくてはいけない。

連絡を受けた時点で銀行は即座に口座を凍結して使えなくする。

凍結された財産が遺族に渡るのは、相続手続きがすべて終わった後だ。

かなりのタイムラグが発生する。

だからすぐに必要なお金は先に手元に準備しておくのだ。

私の場合は幸い父の口座があったのでそれで済ませることができたが、

父が亡くなったときにこの準備を怠ると、自分たちで立て替えないといけなくなる。

生活が逼迫しているような場合は死活問題にもなりかねないのだ。

 

ここまで書いただけでも結構あるなと思ったのだが、あと1つ最大の関門がある。

そう、銀行だ。

さしあたっては死亡連絡だけすればいいのだが(タイミングは考えた方がいい)、

その後の相続手続きが実に大変なのだ。

これは別の記事で書くことにする。

ミッドライフ・クライシス。

今週のお題「やる気が出ない」。

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はいGW明けでやる気ありません。

GW明けじゃなくてもやる気ありません。

ここ数年ずっとやる気ありません。

なんでこうなっちゃったんだろ。

何やっても面白くないのだ。

学生時代はやる気出さないと行きたい高校とか大学とか合格できないし、

試験で欠点取ったら大変だし、やる気出さないと仕方がない環境だった。

勉強以外でも、好きな女の子がいるから背中を押されて頑張る、ってのもあったよ。

社会人になってからも現場の最前線でやってるときは夢中で仕事してた。

休日だって子供が小さいうちは、時間を作って自分も目一杯楽しむようにして、

帰って子供を寝かしつけたときに、ああ頑張ったなあ自分、って充実感があった。

 

ところが今はどうだ。

仕事は最前線を離れ、本社からくるつまらん調査に付き合う毎日。

せめて依頼するなら文章くらいわかりやすく書けって。

六法全書かよ。

スキルアップしようにもそれが自分のキャリアにどう生かされるのかが

想像できないから前向きに取り組めない。

子供は大きくなって自分の世界を持つようになった。

恋愛の刺激なんて当然ない(これはあっちゃ困る)。

今まで楽しんでいたものや充実していたものがなくなっていき、

気付くと何かに打ち込んでない自分に対して空虚な気分になる。

その隙間を埋めるために、振り返りながらこんなブログ書いてみてるわけだ。

だからといって新しく何かを始めようという気にはならない。

もともとアクティブではなく現状維持が好きな性格だから。

刺激がなくなった日々の中でささやかな楽しみや喜びを見つける毎日。

 

こういうのを「ミッドライフクライシス」って言うらしい。

中年期に差し掛かった人が心理的に不安定になることだそうで。

突然起業を思い立ったり、サークルを主催してみたり、果ては不倫に走ったり

衝動的にいろんな変化を起こそうとする傾向があるみたいなんだが、

私はそこまでしたくなるほどの重篤なものじゃなさそうだ。

ただ、人生退屈になってきちゃったなあ、という程度。

自分の人生これでいいんだろうか!?とか考え出すとこじらせちゃうんだろうけど

人生これでいいも悪いもないのよ。

死んじゃえばみんな終わりなんだからさ。

 

多分今の自分にとって大切なのは、現在を充実させることじゃなくて

子供たちが巣立った後に残された人生を少しでも楽しく穏やかに過ごせるだけの

蓄えを考えて生活することだ、と思うようになった。

ドライな話だが、金さえ最低限あれば慎ましく生きていける。

そう考えれば本社からくるくだらん仕事でもクールにこなせるというものだ。

おうち時間2021、っていっても私はいつでもおうち時間さ。

今週のお題「おうち時間2021」。

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おうち時間といっても私は基本インドア派なため

緊急事態じゃなくてもおうち時間が長い。

だから自分自身の生活自体は普段と変わらない。

違うのは周りに人が増えたこと。

要は子供がいつもより出歩かないってことだ。

さすがに子供なので、自分から家にいようとしてるわけではない。

出歩きたくて仕方がないのだが、お店が閉まってるとか、部活が休みとか

誘いたい友達が親から止められたとか、自分の意思とは離れたところが理由だ。

 

私自身もこんなご時世でなければ休みのときは子供連れて出かけたりしていたのだが

それもやらなくなると、毎週の休みのリズムがこの1年間全然変わっていない。

外に出るのは買い物に行くときだけで、まさにルーティンワークだ。

でも全然苦じゃないのは、普段から波風のない生活が肌に合ってるせいだ。

これ、人混み大好きとか人と会うのが好きとかレジャー大好きな人にとっては

ものすごく苦痛なんだろうな。

そういうタイプの人が工夫して新しい楽しみ方を模索してるのに対して

自粛警察が騒いでるんだろう。

外飲みとか。

近隣に迷惑はかけちゃいかんが、距離保って楽しく飲むならいいじゃない。

飲んでるだけでけしからん、はないよな。

 

こんなときだから新しいことしてみよう!って思える人はすごいよな。

全然そんな気起きないもん。

普段通りの生活の中で小さな喜びをささやかに楽しむのが性に合ってる。

これおいしそうだから作ってみよ!とか、今日ドリフあるじゃん!とか。

懸命に作ったなぞ解きを私がいとも簡単に答えてしまい、

ちょっとスネる娘を見てるのもまた楽しい。

 

私は金がかからないという点ではちょっとだけ得な性質なんだろうか?

相続の手続その① -まず最初にやること-

私は2年ほど前に母親を亡くした。

80を超えていたので若くはないが、もう少し元気でいてほしかったな、と思う。

通夜と葬儀も大変だったが、次に待っていた遺産整理もすごく大変だった。

一通り終わるまでに3ヶ月近くかかった。

 

親が元気なうちは意識することはないのだが、いざ親の死に直面すると

すぐに気持ちを押し殺して葬儀や遺産整理に没頭するのって結構難しいと思う。

私は幸いにしてすぐに切り替えができて、割とビジネスライクに進められたが

姉などは気持ちが沈み切ってしまい、とても頼むことができなかった。

家族仲が良いほど、そして女性の方が特に母親を亡くしたときは

立ち直りに時間がかかるものなのかもしれない。

母はいつでも自分の娘の味方だったから。

 

ほとんどの人が一度は通る道だ。

多くの人はさらにもう一度通ることになる。

相続、というよりも親が亡くなったときにやっておくこと。

具体的に私がやったことを書き留めておこうと思う。

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現代で人が亡くなるときの多くはやはり病院だろう。

私の場合もそうだった。

人工呼吸器の反応がなくなった時点で医者が臨終時刻を知らせてくれる。

集まった親族はここで初めて大切な人の死を受け入れなくてはならない。

静かに頷く人、じっと涙をこらえる人、慟哭する人・・・いろいろだ。

そうやってそれぞれの気持ちを形にして吐き出し、少しずつ落ち着きを取り戻す。

しばらくすると医者が死亡診断書をくれるはずなので忘れずに受け取る。

その後、葬儀の段取りだ。

事前に亡くなったらここで、という斎場は決めておいた方がいいだろう。

生前に本人に希望を聞いておくのもいい。

葬儀には予約も何もないから、よほどの偶然がない限りは空きがあるはずだ。

申し込むと間もなくして、遺体を引き取りにきてくれる。

そして遺体とともに斎場へ向かい、式の段取りを決めてしまう。

亡くなった時刻にもよるんだろうが、私の場合は死亡時刻が午後5時頃だったので

葬儀の打ち合わせが終わったのが10時過ぎだった。

その日のうちに段取りを決められるギリギリのタイミングだったかもしれない。

この打ち合わせの場で、死亡診断書のコピーを何枚か頼んでおくといい。

後の相続手続きとかで何回も必要になるからだ。

火葬の許可を役所にもらうのも斎場が代わりにやってくれる。

通夜と葬儀の日時が決まった段階で、お坊さんに連絡しておくことも必要だ。

どの寺に頼むのかも斎場と同じように事前に決めておいた方がベター。

 

そして通夜と葬儀だ。

ここはだいたい斎場の人が手厚くサポートしてくれるので心配ない。

しきたりとかわからなくても言われた通りにすれば大丈夫だ。

参列者の中には香典を包んでくれる人もいる。

ここは結婚式とかと同じで、誰がいくら包んでくれたかを忘れず記録する。

後で香典返しをするときに誰に何を送るのかの決め手になるからだ。

もちろんその場で金額を数えたりすると失礼にあたるので、帰ってからでいい。

そして喪主は挨拶を考えておかなくてはいけない。

一連の儀式の中で喪主が務める唯一にして最大の大役だ。

これ、悲しい気分の中で考えるのはかなり負担になる。

私は喪主だったので通夜と葬儀2回分の挨拶をすることになっていた。

両方来てくれる人も結構いるので、一応違う内容を準備することにした。

話しているうちに涙で言葉に詰まる人もいるだろうが、全然構わない。

自分の気持ちをストレートに出して話しているのが伝わることが大事だ。

 

葬儀の最後は出棺と火葬だ。

斎場は街中のいろんなところにあるが、火葬場は限られた場所にしかない。

やはり排気が出ることと縁起があまり良くない、という理由もあるんだろう。

だいたいは斎場から揃って車で移動する。

ここで最後のお別れをして一度火葬場を出る。

火葬には時間がかかるため、その間に食事をするパターンが多いのだ。

この食事をする場所も事前の打ち合わせで決めてある。

私はここでも3回目の挨拶が必要になった。

これは想定外だったので、喪主の人は注意しておいた方がいい。

そして食事が終わると火葬場に戻りお骨上げだ。

最後に再び斎場に戻って初七日の法要まで済ませてしまうことが最近は多い。

この日参列してくれた人に1週間後にまた来てもらうのは大変だから、という理由だ。

繰り上げ法要、というらしい。

 

ここまで終わると、後は四十九日、初盆、一回忌、三回忌、七回忌・・・と続く。

基本は斎場や寺に親族が集まってお坊さんにお経を読んでもらい食事をする。

葬儀からは間が空くので、準備はそんなに大変ではないと思う。

出席者や寺、斎場との日時の調整と食事場所の予約くらいだ。

法要を斎場で済ませた後、外で店を予約してそこに移動しても構わないし、

そのまま斎場内のレストランやケータリングを利用しても可だ。

そのあたりは柔軟に考えていい。

遺族として当日何を持って行けばいいのかも斎場の人が教えてくれる。

 

亡くなってから葬儀、法要までの流れはだいたいこんな感じだ。

死亡日から葬儀まではだいたい2〜3日なのでかなりドタバタするだろう。

仕事も1週間くらいは休まないといけない。

だが喪主としてはこここそが頑張りどころだ。

 

それにしてもこの一連の流れを経験して感じたのは、斎場の従業員のすごさだ。

日々、人の死と向き合うことを生業にしている人たちなわけだが、

人が非常にセンシティブになる場であることをよく弁え、実によく教育されている。

ビジネスはビジネス、気持ちを汲むところは汲む、とメリハリが効いている。

痒いところに手が届くような提案もたくさんしてくれる。

言葉遣いや出しゃばらないところも好感が持てた。

もちろん当たり外れはあるだろうが、私の場合は紛れもなく"当たり"だった。

近い将来訪れるであろう父との別れもここでやろう、そう思った。

 

葬儀が終わるとひと段落だが、第2の関門が待っている。

相続だ。

これについては別の記事で書いてみることにする。

自治会の役員決めってなんであんなに面倒くさいんだ?

今年度、住んでいる地域の自治会役員の当たり年になってしまった。

そのため役員が8人ほど集まって、どの役をやるか話し合うことになった。

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集まった人の年齢層は全員が私より年上。

70代と思しき方も半数くらいいる。

そして半数以上が女性だ。

 

前任の会長さんがその場は仕切ってくれて役員決めが始まった。

が、前会長はあくまでサポートに徹し、あくまで我々の話し合いで決めるように促す。

私は敢えて黙って、周囲がどういう出方をするか観察することにした。

誰もが軽い役で済まそうと思ってるのはわかる。

私だってできればそうしたい。

とにかく誰が会長をやるのかで紛糾するのは目に見えている。

前会長が1人ずつに話を振ってくれるのだが

 

「いやいや私には無理です」

「仕事があって・・・」

「介護があって・・・」

 

出てくるのはやらない、できないという逃げるための理由ばかりだ。

そしてある御婦人が前会長に向かってとんでもないことを言い出した。

 

「もう1年やってもらうことってできないんですか?名誉会長ってことで」

 

うちの自治会の任期は2年だが、1年だけ特例で延長してもらないか、ってことだ。

そして挙句の果てに、口々に軽い役に立候補して既成事実を作ろうとする。

 

「私〇〇委員やりますから」

「じゃ、私はこの役で」

 

私は黙ってこのやり取りを見ていたのだが、呆れてしまった。

話し合いでもなんでもない。

そう思っていたところに前会長が私に意見があるか振ってきてくれた。

私は鬱憤をぶちまける。

 

「役員決めって早い者勝ちなんでしたっけ?黙ってた私は選ぶ権利ないんですか!?」

「前会長に延長してもらったとして1年後にまた同じようにモメるんですか!?」

 

全員黙ってしまった。

最年少者の私にこんなこと言われて恥ずかしいと思ってほしいわ。

私はもう少しマシな話し合いができると思っていたので、

意見を言うとしたら平等にクジ引きで決めることを提案しようと思っていた。

だが、最初から我先に逃げることばっかり考えてる人たちだとわかったので

こんな人の誰に会長が当たっても、まともに仕事できるわけがないと悟った。

で、沈黙の中で最後に発言した。

 

「私が会長をやりますから」

 

前会長はもちろん、周囲の全員が安堵の表情に変わる。

会長が決まれば後は早い。

他の役職もスンナリと決まり、散会となった。

一人ひとりが引き受けてくれてありがとうございます、って私に礼を言いに来る。

正直大して嬉しくはない。

後ろ向きの立候補だからだ。

 

来ていた人たちは人柄は皆いいのだが、責任感がない。

特に年配になるほど、そして女性ほどその傾向が強い。

まあ実際70超えた人が引き受けたとしても、パソコンもスマホも使わない人もいて

書類作成したり印刷したりコピーしたりするのも結構大変だろうとは思うので

動ける私がやるのが一番いいんだろうとは思う。

なら正直にそう言って辞退させてくれ、って嘆願すればいいのに

言い訳じみたとってつけた理由ばかり並べるから嘘くさく聞こえるのだ。

 

引き受けたからには責任は全うする。

そして来るべき2年後の改選時には次期役員が同じ轍を踏まないように

いろんな決め方を提案できるように準備しておこうと思う。

こういうのは自治会だけじゃなくてPTAとか子供会とかも同じだ。

あっちは主に母親が中心になってるが、逃げようとする人が多いのは変わらない。

フルタイムの仕事を理由に逃げようとするな。

今や女性だって仕事してるのが当たり前なんだから。

小さい子がいることを理由にするな。

何のために夫がいるんだよ。

 

妻も私と同じような理由で重い役を何度か引き受けてきたことがある。

大変なことも多いが、メリットがないわけじゃない。

やらなかった人に対して「貸し」ができるので、意見が言いやすくなる。

そしていろんな組織の人と必然的に連絡を取り合うので

顔が広くなり、名前を覚えてもらえる。

その地域で生活していくのであれば、長期的にみていいことだ。

特に若いときにやっておけば、年取って体にガタがきたときに断りやすくもなる。

逃げてばかりだとそのうち逃げきれなくなるし心象も悪い。

 

もうちょっと建設的に進められるようにしたいものだ。