「マイネルの父」亡くなる。
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先日、岡田繁幸さんが亡くなったという報道があった。
この方は競馬ファンなら知らない人の方が少ないと思うが、
「サラブレッドクラブ・ラフィアン」の創始者だ。
「マイネル軍団」の総帥、といった方がわかりやすいかもしれない。
所有する馬の名前は原則的に牡馬なら「マイネル」、牝馬には「マイネ」が頭につく。
良血馬に限らず自身が走ると見込んだ馬を早期調教で鍛え、
主に2歳戦など若駒に活躍馬が多い印象がある。
所有馬のG1勝利は6レースあったが、ついにクラシック制覇は叶わず、
ダービーのグランパズドリームと皐月賞のコスモバルクの2着が最高だった。
でも1998年のスプリンターズSで引退レースだったとはいえ当時の最強マイラーだった
タイキシャトルをマイネルラヴが正攻法で負かしたレースは痺れたなあ。
ここからはいち競馬ファンの戯言だ。
マイネルの馬はとにかく仕上がりが早く、デビュー直後からよく走る。
だがその分早熟馬も多いため、「クラシック用なし論」が根強くあった。
馬券に絡むかどうかではなく、あくまで勝つかどうかなので、
この理論は結果的に当たっていたといえるのだが、
ではマイネルの馬が買えなくなるのはどこからなのか?で議論になったことがある。
議論といってもクラシック路線でマイネルの馬が勝ったことがあるレースが分水嶺、
という非常に単純明快な理屈だ。
よって1993年にマイネルリマークが勝った共同通信杯まで、というのが定説であり、
これ以降にクラシック戦線でマイネルを買ってはいけない、ということになっていた。
これを打ち破らんとしたのが1999年に豪脚で若葉Sを制したマイネルプラチナムだ。
だが当時このレースは皐月賞指定オープンであり重賞ではなかった。
そのため惜しくも定説を覆すには至らず、ボーダーラインが移動することはなかった。
そして次に起こったのが2002年にコスモバルクが弥生賞を勝ったときだ。
このときも夜を徹して議論が行われたが(大嘘)、
冠がマイネルではないという理由でこれも惜しくも却下。
そしてマイネルリマークから15年が経過した2008年、ついに山が動いた。
半月後ろに移動しただけだったのだが、私の競馬サークルでは大ニュースになった。
牝馬では同じ2008年にマイネレーツェルがローズSを勝っているのだが、
あくまで理論の対象は牡馬に限定している。
その後、弥生賞以降にクラシック重賞を勝ったマイネルの馬はいない(はず)。
2013年にマイネルホウオウがNHKマイルCを勝っているが、
クラシック路線ではないということでこれは認められない(白目)。
岡田氏亡き後にマイネルの冠がこれまで通り続くのかどうかはわからないが、
マイネルの馬がクラシックを勝つところをぜひ見てみたいものだ。