人生の雑記帳

思ったこと。気付いたこと。疑問。後悔。思い出。忘れたくないこと。そんなことを書き留めよう。

高校野球 -大阪大会に望むこと-

夏の地方大会が始まった。

大阪大会も直に始まるが、出場校の決め方について思うところがある。

 

昨今の大阪は大阪桐蔭履正社のいずれかが甲子園に駒を進めることがほとんどだ。

この2校は甲子園に出てもベスト8あたりまでは確実に進むので、

大阪代表として出てくれる分には特段注文はない。

だが、これだけ「甲子園偏差値」が高い学校が複数あって

出場校数も全国随一で多いのに、枠が1つだけしかないのだ。

しかしながら、出場枠を2つにしても現状この2校のどちらかは確実に出られない。

それは大阪を北と南で分けることになっているからだ。

実際、第80回以降に開催回数が10の倍数のときに行われている記念大会では

大阪は2枠もらっているのだが、南北で分けられた実績がある。

地図を見ればわかるが、大阪府というのは縦に長い。

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地形的に南北に分けよう、というのは地理的には実に自然な分け方だ。

だが不運なことに大阪桐蔭履正社も北大阪に属しているため、どちらかが落選し

この2校より力の劣る学校が南大阪代表に選ばれているのが現状だ。

だからといってこの2校の間に無理やり線を引いて分けろ、という気はない。

そんな場当たり的なことをしても、近い将来また勢力図が変わった場合には

同じような議論が噴出することが目に見えているからだ。

 

出場枠を増やす以前に私が導入してほしいと思っているのはシード制だ。

理由は知らないが、全国で大阪だけが唯一採用していない。

2015年には大阪桐蔭履正社が初戦で当たるという"悲劇"が起きた。

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シード制にすれば、少なくともこの2校を決勝まで当たらないようにできる。

今後勢力図が塗り替わったとしても、シード校を再考すれば済む話だ。

今の大阪大会は3回戦までは便宜的に南北に分けて試合を行っているのだが、

ここでもシード制によって、強豪同士は南北内では当たらないようにすればいい。

4回戦以降は南北を混ぜて再抽選するが、ここでもやはりシード制にする。

そうして強豪同士ができるだけ前半で潰し合わないようにしてほしいのだ。

 

シード制を採用することによって、出場校数が2枠になっても対応できる。

通常は最後に決勝を行うところで打ち切りにすれば良いだけだ。

北とか南とか関係なく、強い学校を満遍なく両ブロックに散りばめればいい。

現状の勢力図なら大阪桐蔭履正社は間違いなく別ブロックになる。

そうすれば純粋に強い2校が甲子園に出ることができるはずだ。

 

大阪が強いのは結構なことなんだが、南大阪の学校の凋落が著しいのは寂しい。

昔はPL学園、近大付、上宮、大体大浪商と南にも強い学校がたくさんあった。

現状は上位の2校とそれ以外の差がかなり開いているようにも思える。

金光大阪とか関大北陽なんかはよく健闘している方だとは思うんだが、

この2校も北大阪なんよなあ・・・

大阪学院、大商大堺東大阪大柏原、桜宮などの3番手集団も

出場校の少ない他県ならおそらく代表レベルだ。

30年以上前に春日丘や渋谷が公立として夏の代表になったのって

実は凄いことだったんだな。

 

本題と関係ないが「シード」というのはseed=種を撒く、というのが語源だ。

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強いチームが固まらないように種を撒くように均等にばらつかせる、という意味だ。

しかしながらシードという意味を履き違えているTV関係者やライターがいる。

トーナメントでは、チーム数が2のべき乗(16、32、64など)にならない場合、

どこかで試合数が少なくなるチームが必ず出る。

そういうチームは1回戦を戦わず2回戦から登場し、1回戦を勝ったチームと当たったり

2回戦からの登場組同士のマッチアップになったりする。

こういうチームを指して「1回戦をシード」という間違った使い方をしているのだ。

1回戦を戦わなくていい = シードではない。

出場チーム数が2のべき乗でない場合にシード校に選ばれれば、

2回戦からの登場が多くなるのは確かなのだが、使い方としてはおかしい。

32チームや64チームの場合でもシード校は存在するからだ。

 

とここまで書いて調べてみたら、大阪にもシード制が導入されるみたいだ。

去年は大会自体が中止になったために気が付かなかった。

これは朗報だ。

私が望んでいる通りになるとは限らないが、まずは一歩前進だ。

でも2校枠にする場合、最初から南北に分けるのはやっぱり見直してほしいなあ。

今朝の悪夢の話。-正夢にならないでくれ-

今日は全然別の記事を書こうと思ってたんだが、朝方にいやーな、

それでいて実にリアリティのある夢を見たので急遽そっちを書くことにした。

 

今日からプロ野球が始まる。

オリックスファンの私は今年に期待するところを数日前の記事で書いたばかりだ。

donchang.hateblo.jp

見た夢のいうのは今夜の開幕戦のことだ。

実際の相手は西武だが、夢の中の相手はソフトバンク、場所は福岡ドームだった。

開幕投手はSBが千賀、オリックスは山岡だ。

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結論から言う。

大敗だった。

いや、まだ2回だったので試合は終わってはいない。

でも100%大敗していた。

2回時点のスコアボードがこうなっていたからだ。

 

オリックス  2  2

ソフトバンク 5 14

 

あー思い出したくない。

私はなぜかドームの外野で見ており、

沸きに沸く福岡ドームのライトスタンドを苦渋の思いで眺めていた。

そして、まだ2回だけどもう帰ろう、と決めたところで目が覚めた。

 

たかが夢だ。

しかも開幕戦で実に非現実的なスコアである。

でも油断してはいけない。

2003年に同じSB(当時はダイエー)に3回で23失点している球団なのだ。

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さすがにあのときとはもう違うでしょ、という方は現実を見て欲しい。

18年経ってもこの両チームの戦力差は大して変わっていない。

さすがにオリックス側は多少はマシになっているが、あくまで「多少」だ。

現に2016年になっても再び同じSB相手に22点取られて負けた実績がある。

(このときは4回16失点であり、わずかながら成長はしている模様)

 

2014年にSBと壮絶なマッチレースになり、1厘差で優勝を逃したことは確かにあった。

だがあれは真に戦力が拮抗していたからではなく、

オリックス側にたまたま幸運が重なっただけのことだ。

RPGでいえば魔王相手にどうのつるぎとかわのたてで挑み、

偶然かいしんのいちげきが次々と出て、あわや、になっただけだ。

翌年の惨状がその証拠だ。 

 

今夜の相手は夢とは違うが、打線の破壊力ではSBと双璧の西武だ。

負けたっていいが、どうせ負けるならせめて打ち合いになってほしい。

ロースコアの我慢比べで競り負けるのはもう見飽きた。

 

頼むよ由伸。

頼むよ中嶋さん。

そして・・・仕事しろよ野手ども!

いよいよ2021年パ・リーグ開幕! やる気MAX!? オリックス!

いよいよ2021年のパ・リーグ開幕が迫ってきた。

全国に150人ともいわれるオリックスファンの1人として期するところを書いておく。

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開幕戦は毎年毎年息を吐くように負け続けてきた。

気づけば2010年以来勝ちがなく9連敗中(2011年は引き分け)。

ほとんどの先発は試合を作っており、だいたい終盤までもつれている。

にもかかわらず負けっぱなしなのはリリーフが弱いことよりも打線の問題だ。

肝心なところでタイムリーヒットが出ないのはいつものことだが、

これはどのチームもそうそう出るもんではない。

ましてや開幕戦であり、どこだってエースが登板しているのだから尚更だ。

だから試合がロースコアになることは別に不思議なことではない。

オリックスと他球団との決定的な違いは

 

1点を取る執念

 

これに尽きる。

ソフトバンクや西武はここぞでちゃんと犠牲フライが打てるし、

着実に転がして内野ゴロででも1点を取りにくる姿勢や技術がちゃんとある。

対してオリックスはどうか。

何も考えず初球内野フライ。

打者有利なカウントから難しい球を無理に打ちに行って併殺。

三振以外ならなんか起こるぞ、って場面で三振。

そりゃビリにしかならんよ。

山本、山岡、山崎福、田嶋、宮城と先発の駒は十分揃ってるんだから

高卒野手の成長をただ待つんじゃなく、今のレギュラー陣が仕事しないとダメだ。

T-岡田、安達、西野、駿太、君らのことやで。

正尚だけに頼ってても点は取れんぞ。

 

今年の開幕投手は22歳で初の大役を務める山本だ。

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今や日本一の投手といっても言い過ぎではない。

140km台後半のフォークなんてわかってても打てない。

普通に投げれば7回2失点で確実にまとめられるはずだ。

相手の西武も24歳で初の開幕投手に指名された高橋光成だ。

いい投手であることは間違いないが、山本ほど打てないわけではない。

3点取れないようなら今年も終盤で多分競り負ける。

まあ期待しないで見ることにする。

 

去年は疫病対策で試合数が減り、観客も制限される異例の年だったわけだが

オリックスだけはいつもと変わらない安定の低空飛行。

試合が減って選手層の差が出る前に終わるから意外と上位いけちゃうんじゃない?

普段から無観客みたいなもんだから、この状況はむしろオリックスに有利なんじゃ?

数少ないポジ要素がこれかよ、と思ったが、フタを開けてみればやっぱり弱い。

西村さんの解任も致し方なかろう。

弱いのは今更別に気にしないのだが、試合がとにかくつまらないのだ。

小兵選手ばかり重用するのはいいが、ロクに塁に出られない。

出塁できても走塁が壊滅的で各駅停車当たり前。

ヒット4本出ないと点入らないって野球盤かよ。

四球を選ぶ意識も低く状況考えず振り回す。

ソフトバンクと比べると同じプロとは思えないレベルの低さだ。

 

これを少しずつ意識改革してほしいのが中嶋新監督。

阪急ブレーブスを知る数少ないOBの1人だ。

数年はそこまで結果は求めない。

別の記事でも書いたが4位で十分だ。

例えビリであっても、とにかく面白い野球を見せてくれればいい。

ここ数年はドラフトでも社会人偏重から高校生プロスペクトへの移行がみられる。

昨年のドラフトでは福岡大大濠・山下、中京・元、明石商業・来田と

1〜3位全員が高校生であり、以前のオリックスでは考えられない指名だ。

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その前も天理・太田、駿河総合・紅林、興南・宮城を上位指名しており、

5年後を見据えたチームづくりを進めようとしているのが伺える。

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とはいえ、数年後に期待通りの若く強いチームになるかどうかはもちろんわからない。

高卒の有望株を多く指名したのは近年ではこれが初めてではない。

そしてそのときに指名した選手が軒並み失敗しているから油断できないのだ。

特に2013年の園部、奥浪、吉田雄の野手勢3人が誰一人使えなかったのは痛かった。

奥浪に至っては犯罪行為による退団処分であり始末に負えない。

唯一若月が正捕手を掴もうとしているが、打力があまりにも酷い。

2014年組の宗や佐野もまだ戦力になっているとは言い難い。

 

若手が期待通りに育つかどうかは指導方針、育て方、使い方次第だ。

ファームが神戸から舞洲に移ったことで施設や環境は良くなったし、

選手の入れ替えや親子ゲームもしやすくなり、力の底上げは期待できるだろう。

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1軍で使えば育つというわけでもないのだが、

ベンチに置くのならやはり積極的に打席や守備機会は与えてやってほしい。

昇格させたものの1度も出場機会がないまま抹消ってのを何度か見たことがあったが

それなら昇格させなくていいからファームで打席与えてやってくれと思う。

 

とにかく中嶋監督と新しく組閣した首脳陣には期待している。

エース山本に宮城、山下がローテーションに入り、正捕手に若月。

二、三、遊を太田、宜保、紅林、元で争ってもらって、中堅に来田。

まあこんなにうまくいくことはそうそうないとは思うが、

何年か後に高卒選手の多くが主力に成長した若い魅力あるチームになることを願う。

阪急からオリックスへ〜強かった勇者は何処へ行ってしまったのか。

今の私は根っからのパ・リーグ党だ。

ヤクルトの記事でも書いたが、どうもセの野球への興味が薄れてきている。

交流戦日本シリーズでは悉くパにやられ、人気の面でも昭和の時代からは

考えられないくらいにパの勢いが強い。

セ・リーグが「セカンド・リーグ」と揶揄されて久しい所以だ。

DH制もあってとにかくパの試合が見ていて面白いのだ。

今や球界の盟主ともいえるソフトバンクが牽引している面が強いが、

他球団も王者ソフトバンクを倒すために実力、集客面で着実に成長している。

まさにリーグ全体で切磋琢磨している、といえる。

 

そんなパ・リーグの中にあってのオリックスだ。

もともと私は阪急ブレーブスのファンだった。

ヤクルト同様になぜ阪急だったのかは覚えていない。

多分あの赤いユニフォームがカッコよく見えたとかそんなんだろう。

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本拠地が西宮だったため試合を見に行く回数も非常に多かった。

私が小学生の頃はパはとにかく西武が強い時代だ。

毎年のように圧倒的大差で優勝されてしまう。

阪急が2番手で追うことも多かったのだが、夏場までついていっても

夏以降の天王山になると決まってコテンパンにやられる。

私が見始めてからの優勝は84年の1度だけに終わったが、

その4年後にまさかの身売りがあるとは思ってもみなかった。

 

阪急身売りのニュースは伝説のロッテ-近鉄ダブルヘッダーの試合中に知った。

同日には南海のダイエーへの身売りも報道されており、もう大混乱だ。

近鉄の試合は気になるわ、阪急と南海の行く末は気になるわ、

私はNちゃんのことが気になるわで大変な日だったのを覚えている。

 

身売り後は神戸への移転とブレーブスからブルーウェーブへの愛称変更で

かなり違うチームになっていったが、阪神大震災のときの連覇によって

身売りは決して悪いことではなかった、と考えることができるようになった。

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しかしいいことは長くは続かない。

次代を育ててこなかったツケが出て、イチローのメジャー移籍と合わせるように

強かった頃の面影すらない悲惨なチームへと変貌していった。

代わって台頭したダイエーにシーズンで4回も20点以上取られたのが悪夢の2003年。

特に8月1日の試合は29失点というもはや野球とは思えないスコアで大敗を喫している。

序盤の3回で23失点しており、呆れて帰ったお客さん結構いたんじゃないだろうか。

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そして2004年の球界再編騒動で近鉄と合併し、オリックス・バファローズになる。

私はオリックスファンではあるが、決してバファローズファンではない。

近鉄ではなく阪急が好きだったからだ。

だから私は「オリックスファン」とは言うが「バファローズファン」とは言わない。

もともと近鉄ファンだった人の中にはこの逆って人もいるんではないだろうか。

まあそんな捻れた歴史を持つオリックスなわけだが、強ければ文句はない。

しかし残念ながら合併以降も相も変わらず「弱い」のだ。

Bクラスは当たり前、息を吐くように最下位にいることもしばしばだ。

何を間違ったか2位になってしまったことが2回もあるのだが、

そのどちらもCSファーストステージで日ハムにあっさりと引導を渡される。

そして翌年は前年躍進の反動がきっちり出てビリ独走、というお決まりの流れだ。

CS創設以降、ファイナルステージに進んだことがないのは12球団でオリックスだけだ。

日本シリーズに出場していないのもオリックスただ1球団。

パ・リーグのお荷物と言われても何も言い返せない惨状だ。

 

2010年に就任した"どんでん"こと岡田監督の時代もやはりBクラスばかりだったが、

試合を見ていて非常に面白かったのを覚えている。

平野-岸田の方程式を確立し、後藤とT-岡田を中軸に抜擢した打線が当たった。

特に2011年は9月の怒涛の快進撃で3位まで見えたものの1毛差で西武に敗れる。

しかし見ていたファンとしては面白いチームになったなあ、と感じたものだ。

 

ここ5年は福良、西村体制で大砲がまったく育たず、機動力もロクに使えず、

あまりに打てない打線に、自慢だった投手陣が辛抱しきれず負けを重ねる、

という悪循環が続いた。

 

ようやく中嶋さんという"まともな"思考ができる人が監督になったので、

今年は少しだけ期待したいと思う。

贅沢は言わないからまずは4位くらいでいい。

Bクラスからいきなり躍進しても打ち上げ花火で終わるのは歴史が証明している。

2001年近鉄、2008、2014年オリックス、2015年ヤクルトなんかはその典型だ。

ケガ人が少なかったとか、選手のキャリアハイが重なっただけとか、

継続的に強さを持続できるものではなかったことがほとんどだ。

強いチームは故障者が出ても代わりの選手がきっちり仕事をしている。

主力の調子がいまひとつでも周りの選手がカバーしている。

とにかく急がなくていいから、選手層を厚くすることに力を注いでほしい。

非力なユーティリティなんて何人もいらない。

4番は外国人でいいから、日本人の大砲候補も下位打線で育ててくれ。

杉本でも大下でもいい。

T-岡田だってあの乙女メンタルなら下位打線でこそだ。

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打席の半分が三振でもいいからフルスイングできる選手を増やすことだ。

3年以内に優勝してくれ、なんて非現実的なことはオリックスファンは言わない。

もう25年も待っているのだから。

大阪人なのに!?ヤクルトファンは肩身が狭かった。

私は高校生まで大阪で過ごした。

プロ野球が大好きだったが、なぜか阪神ファンにはならなかった。

どういうわけか当時弱小の名をほしいままにしていたヤクルトを贔屓にしていた。

理由はよくわからない。

多分ユニフォームのカラーとか、弱いけど個々の選手が魅力的とか、そんなんだろう。

私がヤクルトに興味を持ち始めたのは小学校低学年の頃だったと思う。

当時の監督は武上四郎さん。

弱い、とにかく弱い球団だった。

毎年繰り広げられる大洋との最下位争い。

選手たちは個々には実に素晴らしいメンバーが揃っていたと思う。

若松、大杉、杉浦、水谷、角、大矢、松岡、尾花、梶間。

控えの層が薄かったのだろうか。

たまに5位になるだけですごく嬉しかったのを覚えている。

開幕直後に瞬間的にAクラスになり、新聞の順位表を記念に取っておいたこともある。

 

巨人戦は必ずTV中継があった時代なのでヤクルト戦は欠かさず見ていたが、

後楽園で試合があるときは7時の放送開始の段階でリードしていることはほぼない。

3連戦で1つ勝てればいい方だった。

 

阪神戦もほとんど中継されていたが、こっちはまあ巨人戦よりはマシというレベル。

いま思い返してみて驚くのは勝ち負けよりも観客の少なさだ。

今でこそ甲子園はどのカードでも客が入るが、当時のヤクルト戦はガラガラだった。

阪神側はそれなりに入っていたが、3塁側がとにかく寂しい。

当時の甲子園はヤクルト、大洋、中日の3球団に応援団らしい応援団がおらず、

ハッピを着たおっちゃんが数人内野席にいて、笛と太鼓を鳴らしてるだけ。

トランペットといった音楽を奏でるようなものはまったくない。

周りにファンもいないので、おっちゃんたちの声だけが元気に響いている。

 

そんな時代に大阪にいながらヤクルトに愛情を注いでいたわけなので

当然学校でもその存在が異様に浮いてしまう。

今でこそ、どの球団のファンでもそれなりにリスペクトされ、バカにされたり

することは減ったと思うが、当時の小学校でヤクルトファンは非国民扱いだった。

クラスには阪神ファンが70%、巨人ファンが20%、残りが中日、広島とかだ。

ヤクルトと大洋、そしてパ・リーグ球団に愛着を持つ子供は絶滅危惧種だった。

まあさすがに大阪なので阪神近鉄の掛け持ち組はそれなりにいたみたいだが。

先生もまた残酷なもので、給食の時間にどこのファンかを順番に挙手させたりする。

「ヤクルトファンのひとー?」

のところで先生の顔が半笑いになっているのがわかる。

手を挙げた子供を皆で笑ってやろうという魂胆がみえるのだ。

私はおそるおそる手を挙げた。

反応しなくても良かったのだが、そうすると今度はクラス中から総攻撃に遭う。

「お前ヤクルトファンやないかー!早よ手挙げろやー!」

である。

まさにマイノリティの悲哀だ。

 

そんな地域事情なので、ヤクルトグッズなんてなかなか手に入らないわけだが、

当時私がほしかったものといえばやっぱり野球帽だ。

当時はいまのようなTシャツとかはほとんどなく、子供といえば帽子だった。

かぶってる帽子でどこのファンかがわかるのは今と変わらない。

だが当時の大阪でヤクルト帽をかぶっている子供は一度も見たことがなかった。

「まゆげコアラ」に出会うよりもはるかに難しかったと思う。

百貨店に行けばセ・リーグならだいたいどの球団のものもあったのだが、

ヤクルトだけがどうしても見つからなかった。

今思えば甲子園に行けば買えたのかもしれないが、とにかく需要がなかったのだろう。

割と近所の小さなデパートにひっそりと陳列されていたときは本当に嬉しかった。

まるでドラゴンクエストのレアアイテムを見つけた気分だ。

その帽子は最近まで私の子供たちがかぶっており、現役で活躍してくれていた。

デザインは一度変更があったが、今現在と同じシンプルな白地のYSマークだ。

ヤクルトのロゴはやっぱりこれが一番カッコいい。

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その後、監督は土橋さん、関根さんと変わったが圧倒的弱さは変わらなかった。

それでも私のヤクルト愛は変わることはなかった。

そんなヤクルトがようやく変化を見せ始めたのが90年代に入ってから。

野村さんが監督に就任し、古田が選手として入団してからだ。

捕手として燻っていた飯田を外野手として開花させ、池山や広沢も主力に成長した。

投手陣も西村、岡林、伊東昭、伊藤智、高津、そして荒木の復活と多士済々だった。

脇役にも秦や橋上、土橋のいぶし銀、80年代を支えた杉浦や角が仕事を全うした。

そしてハウエルの加入で戦力が最高レベルに上がったところで92〜93年の連覇。

2年にわたる西武との日本シリーズの死闘は今も記憶に残る名勝負だ。

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90年代はその後も2度の優勝と日本一を勝ち取り、ヤクルト史上最高の10年といえる。

あれだけ弱かったヤクルトがここまで強くなったのか、と感慨深かったものだ。

21世紀に入ってからも2度の優勝を果たしてはいるが、

私の中では2001年の若松監督のときが実質的に最後、と思っている。

2015年の優勝はどうも素直に喜べなかった。

どうにも野球が雑に見えてしまったのだ。

パ・リーグとの差を実感し始めていたから、というのも多分あるし、

ソフトバンクとの日本シリーズも負けるのが目に見えている、とも思った。

そして予想通りほとんど何もできず負けた。

せ・リーグの野球自体にあまり魅力を感じられなくなっているのも事実だ。

DH制導入でもなんでもいい。

人気に胡坐をかかず、リーグが一体となってセを盛り上げてもらいたいと切に願う。