人生の雑記帳

思ったこと。気付いたこと。疑問。後悔。思い出。忘れたくないこと。そんなことを書き留めよう。

甦る殺気と緊張感!1995.10.9新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争。

私が見てきたプロレスの歴史的大会の3つのうち最後の1つがこれだ。

開催が決まったのが同年8月と東京ドームの試合としては異例の遅さだった。

両団体の間の話し合いで急遽決まったためだったのだが、

チケットがバカ売れするのは目に見えていた。

メインが武藤敬司高田延彦のシングルと発表されていたからだ。

この2人は高田が第1次UWFからの出戻り時代に対戦経験があるが、

1995年当時の高田はUインター旗揚げ後に北尾やベイダーを倒し、

「最強」を標榜しているUインターの絶対的エースだ。

対する武藤も新日本の事実上の"顔"だ。

両団体のトップ同士が東京ドームのメイン、しかもシングルで戦うのだ。

大会の性質上、絶対に不透明決着にはならない。

そしてドーム内が凄い雰囲気になることも予想できていた。

ここに至るまでの両団体のトラブルやイザコザ、喧嘩腰の罵り合いが

ファンをこれ以上なく煽っていたからだ。

前の2つと違ってこちらは新日本のTV中継がちゃんとある。

相手のUインターにTVがついていないからだ。

それでも私は肌で感じ取らないとダメだ、と絶対見に行こうと決め、

またしても北海道から参戦した。

 

当日のドーム周辺は異様な盛り上がりを見せていた。

当日券を求める大行列。

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新日本とUインターのファン同士のトラブルもあちこちで起こった。

久しく新日本から失われていた"殺気"が感じられる雰囲気がそこにはあった。

このムードを味わえただけでも見に来た甲斐があったと思える。

試合開始1時間ほど前にドームに入ったのだが、ほとんどの席が既に埋まっている。

当日は東京ドーム興行としては異例の月曜日。

準備期間の短さと合わせて、客が集まりにくい要素が揃っているにもかかわらず、だ。

平日の試合開始前にプロレス会場の席がすべて埋まることなんてまずない。

そして当日券を求めるファンがあまりにも多かったため、

当初開放予定がなかった外野席にまで急遽観客を入れることになった。

それだけファンの期待が大きかったということだろう。

 

ドームを埋めたファンのほとんどは新日本推しだった。

それまでのいきさつを知っていればそれも頷ける。

とにかくUインターは無礼ともいえる態度で新日本に喧嘩を売り続けていたからだ。

ベイダーの引き抜きや1億円トーナメント事件、そしてそのたびに報道される

選手兼フロントだった宮戸優光の言動がファンの神経を逆撫でする(左端が宮戸)。

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まあこれもプロレスの演出の一部だとすれば役者として一流だ。

 

そしてついに試合が始まった。

事前のセレモニーをはじめその他の演出はなにもなし。

"普段着"であることが逆に緊張感を高める。

選手入場ゲートも新日本とUインターに分かれていて対決ムードを盛り上げる。

第1試合から選手そしてファンはこのうえなくエキサイトしていた。

特に金原弘光に対する石沢常光の態度が象徴的だ。

「お前なんか絶対に認めねえ」と言っているかのようだ。

 

異彩を放っていたのが獣神サンダー・ライガー佐野直喜のシングルだ。

ライガーが佐野を純プロレスに誘い、佐野もそれに応じた。

佐野のおよそUWFの選手らしからぬ動きにファンは敵味方を忘れて声援を送った。

もともとこの2人は新日本のジュニア戦線でしのぎを削った仲だ。

佐野がこういう試合もできることはファンだってわかっている。

UWFスタイルに固執しなかった佐野と、それを引き出したライガー

対抗戦の中で純粋に楽しめる唯一の試合だった。

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前半でこの日一番の注目は長州力安生洋二戦だ。

結果は皆わかりきってはいたが、"200%勝てる"等ビッグマウスを連発していた

安生を長州がどう気持ち良く料理してくれるのか、に興味が集まっていた。

そして期待通り長州は安生に何もさせず、ラリアット⇒サソリ固めで終わらせた。

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時間にして5分足らず。

まあこういう"お仕置き"的な試合は長州の最も得意とするところだろう。

 

そして試合は進み、いよいよメインの武藤-高田戦だ。

まずこの対決でいえるのは、2人とも入場シーンだけで金が取れるな、ということだ。

高田のテーマ曲はロッキーの「トレーニンモンタージュ」だが、

これがドームという舞台と高田の雰囲気に実に合っていて、最高にカッコいい。

対する武藤も新テーマ曲「トライアンフ」に乗せて、観客にアピールしながら入場。

アメリカンスタイルながら嫌味を感じさせないのが天才というべきか。

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試合は高田のキックとサブミッションに付き合いながら武藤が持ち味を如何なく発揮。

高田は武藤のムーンサルトを受けないなど、こだわりを垣間見せる。

そして最後はドラゴンスクリューからの足四の字固め。

フィニッシュが生粋のプロレス技であったことが新日本の完全勝利を意味していた。

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試合後、花道を引き揚げる高田に対してファンからの痛烈な野次が突き刺さった。

「高田!前田が泣いてるぞ!!」

TV中継の音声にもしっかり拾われていたので、記憶にあるファンも多いだろう。

第2次UWFが三派に分裂したとき、唯一UWFの3文字を背負ったUインター

前田が理想郷として旗揚げしたUWFが音を立てて崩れた瞬間だった。

 

Uインターとしては、この対抗戦に同意した時点で先がないも同然だった。

夢の懸け橋の記事でも書いたが、対抗戦は麻薬と同じなのだ。

だがUインターは経営難もあって、禁断の果実に手を出さざるを得なかった。

こうなるとUインターとしては負けブックを飲まざるを得ない。

一時的な利益は得られるが、団体としてのイメージダウンは避けられない。

 年明けの1.4東京ドームのリマッチでは高田が逆十字で勝利するが焼け石に水だ。

それくらい10.9における武藤戦の四の字による敗戦のインパクトが大きすぎた。

 

Uインターはもともと宮戸がブレーンとなって、猪木全盛期の新日本を理想として

高田を絶対エースに立て、プロレス界に話題を提供し続けてきた団体だ。

1億円トーナメント構想における、各団体エースへの一方的な招待状の送付などは

間違いなく反発が来ることを想定して仕掛けている。

業界内にもファンにも多くの敵をつくった団体だったとは思うが、

爆弾を落とす団体があった方がプロレス界が盛り上がるのもまた事実だ。

だが昭和の新日本とは違い、Uインターの試合は月一であり、ドラマ性に乏しい。

ファンも成熟しており、猪木のカリスマ性を高田に求めるのはやや無理があった。

 

私も一ファンとしてUインターがプロレス界に作り出す渦を楽しんでいた。

昭和のプロレスを見てきたファンなら、わかる人が多いのではないだろうか。

特に北尾をハイキック一発でKOしたときは、プロレス界の中心にいたといっていい。

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一瞬だけだったがプロレス界に確かに爪痕を残したUインター

最後は新日本という大波に飲み込まれ、その役目を終えた。

学生時代のプロレス行脚の旅日記その②。

↓ 前回のお話

donchang.hateblo.jp

山形から翌日にまた1日かけて東京に戻った。

この日は首都圏で目ぼしいプロレスの試合がなく、夜に時間が余ってしまうため、

神宮球場でヤクルト対阪神戦を見ることに決めていた。

私はセ・リーグはヤクルト、パ・リーグオリックスのファンだ。

 

この年は両チームともに快進撃で、ついに日本シリーズで夢の対決となった。

以来、両者の同時優勝はない。

オリックスに至っては1995-1996の連覇以来、優勝自体がない。

揃ってビリという"裏日本シリーズ"はここ2年連続でトータル3回もあるけど・・・

なんでどっちもこんなに酷い球団になっちゃったんだろ。

 

この夜もヤクルトは強い試合を見せてくれて大満足だった。

特に阪神からきたオマリーと、ロッテからきたミューレンの活躍が目覚ましい。

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日本人選手も、2年連続で西武との死闘を経験した古田や池山、飯田が健在であり

野村監督の存在感の強さも相まって魅力満載のチームだった。

今みたいな隙だらけの雑な野球をするチームになってしまうとはなあ・・・

 

翌日はまたプロレスだ。

千葉にある東京ベイNKホールUWFインターの試合。

東京ディズニーランドのほど近くにあり、高級感漂う外観の会場だ。

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この日のメインは田村潔司ゲーリー・オブライトのシングルだった。

この試合の2ヶ月前に両者は対決しているが、オブライトが無気力でまともに田村の

相手をしようとせず、田村が涙を流して悔しがったいわくつきのカードだ。

この日のオブライトは田村と真摯に向き合っているように見えた。

最後は田村が見事に勝ち、メインの務めを立派に果たしたが見せ場は試合後だった。

控室にいたであろう高田を名指しして

「高田さん、僕と真剣勝負して下さい!」

とマイクで叫んだのだ。

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UWFの看板を背負った団体の選手が「真剣勝負を」と言ってしまった。

この発言はややもすればこれまで積み上げてきたUWFの歴史を否定することにもなる。

それだけ田村がそのときのUインターの状況、つまり新日本との対抗戦に

舵を切ろうとしている団体の方向性に納得がいかなかったのだろう。

高田は田村の要求には特に応えず舞台袖に姿を消した。

だが2人のシングル対決は7年後の高田の引退試合で実現することになる。

壮大なアングルと伏線回収だったのかもしれない。

 

翌日は全日本の後楽園ホール

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サマーアクションシリーズ2の開幕戦だったがカードはすっかり忘れてしまった。

鎖国真っただ中だった全日本なので特に目新しい選手やドラマがあるわけではない。

でもやっぱり"絶対に期待を裏切らない"という安心感が他団体とは段違いだ。

第1試合からしっかり会場が温まっていき、休憩前にファミ悪決戦で肩の力を抜く。

そして後半に入って徐々に雰囲気が盛り上がりメインで爆発、という具合だ。

私が後楽園で全日本を見たのはこのときの1度だけだが、首都圏のファンは

こんなにクオリティの高い試合をいつでも見られて羨ましい、と感じたものだ。

 

そして翌日がこの旅のトリを飾るIWAジャパン川崎球場だ。

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デスマッチ・トーナメントを目玉に据えたこの大会は試合数も多く、

さらにデスマッチということで試合ごとに準備に時間がかかる。

そのため、試合開始が午後2時という灼熱の時間帯だった。

真夏の屋外球場でこの時間設定はやる方も見る方もキツい。

後で自分の体を見るとあちこちが日焼けで水膨れになっていて大変だった。

試合はまあ予想通りというか、なんでもアリの独立団体らしさ全開という感じだ。

有刺鉄線ボード、有刺鉄線グルグル巻きバット、画鋲、爆弾・・・

特に画鋲はファンにとっても非常に身近なものとあって反響は大きかった。

無数の画鋲が背中に突き刺さっている画は非常にシュールだ。

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だが物理的に考えると画鋲の数は少なくした方が絶対痛い。

痛みが全然伝わらないからそうしないんだろうけど。

でもやっぱりプロレスは集中力が削がれてしまう屋外は合わない。

窓のない密室で行われることで非日常感が味わえるのがいいのだ。

観客動員はIWAジャパンの体力を考えれば大健闘だったと思う。

団体スタッフの皆さんもあの客入りを見て嬉しかったんじゃないだろうか。

私が事前にチケットを電話予約したとき、受付のお姉さんとこんなやり取りがあった。

 

「帰りの列車の都合があるので試合終了予定時刻を教えてもらえませんか」

「どちらから見にいらっしゃるんですか?」

「札幌からです」

「さ、札幌!遠方からどうもありがとうございます!」

ものすごく感謝された。

 

お姉さんが教えてくれた時刻近くで試合はちゃんと終わった。

私は上野駅に向かい、青森行きの夜行急行列車に乗って帰路に就いた。

さすがにここから鈍行だけで札幌に帰るだけの体力はないと思ったからだ。

今思えばよくもまああんな無茶なスケジュールを組んだものだと思う。

若さももちろんあるが、当時のプロレスを本当に楽しんでいた、ということだ。

私のプロレス熱もこの頃をピークに冷めてしまい、間もなく見なくなってしまった。

私のような昭和から見ているファンは、エンタメとして割り切って楽しんでいる

今のファン気質についていけない。ルチャだけは最初からそういうものだと思って

見ているので抵抗はないのだが、やっぱりあの頃の殺気とか驚きが恋しくなるのだ。

ハンセンが全日本に、ブロディが新日本にそれぞれ初登場したときのあの衝撃。

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情報網が発達した現代ではまず起こり得ないサプライズだ。

もうあの頃には決して戻れない。

当時のDVDを見て妄想に浸るのが一番良さそうだな。

学生時代のプロレス行脚の旅日記その①。

私は学生時代、変わった旅の思い出を作ろうと思い立って実行したことがある。

プロレスファンであったこともあり、ただ旅をするだけではなく

津々浦々で行われるプロレスの試合をいくつ回れるかやってみようとしたのだ。

1995年のことだ。

私は当時北海道に住んでおり、夏休みはだいたい大阪に帰省していた。

そのタイミングに合わせてやってみようということになった。

 

まずは往路だ。

飛行機を使ってしまったら意味がないため、青春18きっぷを使うことにした。

学生の長期休暇に合わせて発売されているJRの格安きっぷだ。

1日普通列車乗り放題、途中下車し放題で5枚ワンセットで当時11300円だった。

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限界まで頑張れば1日2260円で東京から九州まで行くこともできる。

いまは1枚ものになって、使うたびにスタンプを押してもらう形式になったため、

友達と分けて使うとかができず、昔より使いにくくなった。

 

スタートは札幌からなのだが、普通列車をどれだけ効率よく乗り継いでも

1日で北海道を脱出することはできないとわかった。

函館までは行けても、その先の青函トンネルを走る列車の最終に間に合わないためだ。

このプランを立てたとき、北海道のおそろしいまでの広さを実感したものだ。

そのため私は「ミッドナイト」という快速列車を使うことにした。

これは函館と青森を結ぶ夜行快速列車で、青春18きっぷでも乗れる。

日付をまたぐときっぷがもう1枚必要になるが、どうせ翌日も旅は続くので関係なし。

 

青森には早朝に着き、その足で盛岡に向かった。

この日の目標は矢巾町民体育館で行われるみちのくプロレス

ジャパニーズ・ルチャリブレをぜひとも自分の目で確かめてみたかったのだ。

ルチャリブレとはスペイン語で「自由の戦い」という意味で」であり、

主にメキシコで主流になっている空中戦やアクロバティックなプロレスのことだ。

 

矢巾町は盛岡からすぐの小さな町で、矢幅駅(町と駅で漢字が違う)は無人駅だった。

プロレスがあるとは思えない小さな町の住宅を抜けると体育館があった。

本当にどこにでもある"町の体育館"だ。

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この日は覆面ワールドリーグ戦の開幕戦。

私のお目当てはなんといってもドス・カラスだった。

ドスというスーパースターがこんな小さな体育館に本当に来てくれるのだろうか?

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会場に入ると子供たちが実に多い。

みちのくは子供一律1000円という実に良心的なチケット価格設定だからだろう。

しかも全席自由、というか席自体がない。

リングの周りにはブルーシートが敷かれているだけで、どこでもご自由に、なのだ。

当然子供たちは我先にリングサイドに陣取る。

リングと客席を隔てるフェンスもないので、ルチャにつきものの場外戦では

観客も逃げ回り、動き回る。これがまた楽しい。

じっくり見たい人は体育館の壁際でおとなしく立ち見。

実にのどかな光景だ。

かすかに心配だったドスもちゃんと来てくれていた。

あの大物がこんな小さな体育館にいること自体が大変な違和感だ。

初めてフライングクロスチョップを生で見られたことだけでその日は満足。

サスケが浪花に負けたこともサプライズだったが、やっぱりルチャは楽しい。

ドラゴンゲートも含めてぜひとも日本の娯楽として根付いて欲しいものだ。

その日は盛岡で一泊し、翌日から2日かけて大阪まで移動した。

 

そして復路がこの旅のメインだ。

最初の目的地は両国国技館

お盆期間中に開催される新日本の夏の祭典G1クライマックスだ。

異例の国技館5日間連続興行であるが、私は全戦チケットを購入した。

早朝に大阪を発つと、夕方には東京に着ける。

初日の試合開始は6時なので十分に間に合う計算だ。

大阪から東京は列車の乗り継ぎが非常にいいので距離が稼ぎやすいのだ。

だが問題は2日目以降の時間の使い方だった。

同じ場所で試合が続くので、宿泊場所もその近くのカプセルホテルだ。

3日目を除いて試合開始はすべて6時からだったので、非常に時間が余ってしまう。

青春18きっぷは2セット、つまり10日分買ってあった。

この両国連戦時の昼間好きなところへ行って時間を潰せるように、という狙いからだ。

私は2日目以降の4日間、試合開始までの時間で関東近郊の観光地を巡ることにした。

日光の霧降の滝、奥多摩湖、房総半島などだ。

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我ながらなかなかいい時間の使い方だ、と思ったものだ。

奥多摩湖に至っては時間があることで奥多摩駅から歩くことにしたのだが、

季節が季節だったため死ぬ目に遭い、帰りはあえなくバスのお世話になった。

連日の試合はやはり老舗新日本、期待を裏切らない。

途中Uインター山崎一夫の電撃参戦もあり、大変な盛り上がりだ。

トーナメントは武藤が優勝してG1クライマックスは幕を下ろした。

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錦糸町のカプセルホテルに5連泊したためフロントのおばちゃんに顔を覚えられた。

 

翌日は再びみちのくだ。

山形県新庄市体育館で覆面ワールドリーグ戦の中盤戦。

矢巾で既に見ているのだが、何度見ても面白いものは面白い。

早朝に東京を出発すると夕方には新庄に着ける。

新庄は駅こそ矢巾より大きいが、町並みはそんなに変わらない感じだ。

本当にのどかな夕食時の住宅街を一人歩いて体育館に向かう。

みちのくのこの雰囲気、すごくいい。

 

ヨネ原人とウィリーさんの試合のとき、2人が客席に雪崩れ込んできた。

観客を巻き込みながら延々と場外戦を繰り広げる"楽しいプロレス"担当の2人だ。

客席もそれがわかっているので楽しそうに逃げ回っている。

みちのくの試合はだいたい土足禁止なので、みんな靴を足元に置いて見ている。

私は逃げるときについ靴を持たずにその場を離れてしまった。

するとあろうことかウィリーさんが私の靴でヨネを殴っている。

彼はそのまま控室に消えてしまい、靴が行方不明になった。

私の隣に座っていたお婆ちゃんが声をかけてくれる。

 

「あれ、あんたの靴じゃないのかい?」

「はい、そうです」

「ありゃあ、気の毒になあ」

 

お婆ちゃん同情するなら靴探してくれんか。

休憩時間に本部席にいたリングアナに聞いてみた。

 

「あの、ウィリーさんに靴取られちゃったんですけど、ありかわかります?」

「本人に聞いてみないとわからないけど・・・多分本人も忘れてるんじゃ・・・」

 

ネタとしては面白いと思ったが、さすがに帰りに裸足では困る。

とりあえずメインまで見終わってから館内を探して回ってみると、

隅っこの方にきちんと並べて置いてある私の靴を発見した。

多分使い終わってウィリーさんが捨てた後に若手選手が置いてくれたのだろう。

いかにもみちのくらしい出来事だったなあと思う。

 

さあ翌日は再び東京へ戻るぞ。

まだ道半ばだ。

プロレス夢のオールスター戦! 1995.4.2「夢の懸け橋」のこと。

私は平成に入ってプロレス界の歴史的な東京ドーム興行を3つ見てきた。

1つ目は既に書いた1990.2.10の新日本と全日本の対抗戦。

そして2つ目がこの記事で書く、1995.4.2「夢の懸け橋」だ。

複数の団体が参加するので、TV中継は間違いなく、ない。

そしてビデオ発売も「誰が利益をもらうのか」で揉めるはずなので多分ない。

こりゃ見に行かないといかん、ということでチケットを押さえた。

 

この大会はプロレス団体ではなく、出版社であるベースボールマガジン社が主催した。

週刊プロレスを世に出している会社だ。

この「週プロ」の当時名物編集長だった"ターザン山本"こと山本隆司氏が

仕掛けて実現した大会だったのだ。

当時の週プロは山本氏の独自のカラーが非常に強く出ていた。

自分の意に沿わない団体は容赦なく批判を展開した。

第2次UWFを神格化し、新興SWSを金満と猛バッシングしたのも週プロだ。

そのため熱烈な読者が多かった半面、アンチも多く生み出した。

こういう週プロの姿勢に危機感を抱いた団体側は取材拒否、という強攻手段に出た。

全日本やSWS、WARなどが実際に取材拒否を実行した団体だ。

そんな良くも悪くも業界内で影響力を持つ存在だった週プロが動いたのだ。

 

当時は空前の多団体時代だった。

その数は日本国内に30とも40ともいわれた。

数に入れていいのか微妙な零細団体もあったため、数がはっきりしなかったのだ。

オールスター戦といえば他団体の選手同士がリングに上がって戦う対抗戦を想像する。

しかし、さすがに第三者である出版社が主催する大会だ。

戦えば必然的に勝ち負けが発生する。

どの団体もわざわざ出場して"負けブック"を飲まされるのはゴメンだろう。

かといって引き分けばかりではファンに不満が残る。

ここで

「各団体が1カードずつ提供した試合を順に並べる」

というやや苦肉ともいえる策が浮上した。

なるほど、これならばカードの新鮮味はないが、各団体のメンツは保たれる。

どのカードを提供するかも各団体に委ねてしまっていい。

自分たちをアピールするためにより興味をひくカードを、と団体側も考えるからだ。

この大会には結局13団体が参加を表明した。

当時取材拒否中だった天龍率いるWARは当然の如く不参加。

そしてあろうことか同時間帯にすぐ隣の後楽園ホールで自団体の興行をぶつけてきた。

週プロへの宣戦布告だ。

後楽園もアンチ週プロやコアなWARファンが集まり、満員御礼。

ライバル誌の週刊ゴングはドームよりWAR後楽園を詳報し対決姿勢を打ち出していた。

当時のプロレス界は冬の時代を乗り越え、かなりの盛り上がりを見せていたのだ。

 

試合は、女子⇒男子の順で、さらに各団体の歴史の浅い順に行われることに決まった。

女子は、JWP ⇒ LLPW ⇒ 全日本女子。

男子は、剛軍団 ⇒ IWAジャパン ⇒ パンクラス ⇒ 藤原組 ⇒ みちのく

⇒ リングス ⇒ UWFインター ⇒ FMW ⇒ 全日本 ⇒ 新日本だ。

結果的にだが、この「カード提供方式」は成功だったと思う。

カードの良し悪しよりも、ファンが様々な団体のカラーを知ることができたからだ。

対抗戦は確かに盛り上がるが、団体の持ち味まではなかなかわからないものだ。

私も老舗2団体以外はほとんど見に行ったことがなく、非常に新鮮に映った。

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女子プロレスは3団体の個性が出ていて、その面白さもよくわかった。

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特に第1試合のJWPの8人タッグマッチはドームの空気を本当によく温めたと思う。

 

剛軍団では普段彼らをあまり見ないファンも一体になって「プロレスバカ」の

作り出す世界を目一杯楽しんでいた。

 

IWAジャパンはハチャメチャなデスマッチだったが爪痕はしっかり残したと思う。

 

U系4団体はやはりドームには向いていないのか、アピールがやや弱いかなと感じた。

だがリングス前田日明の入場時の割れんばかりの「マエダ」コールだけは別だ。

プロレスファンの前田に対する期待感はやはり根強いものがあったのだ。

 

逆にドームに最もマッチしていたのがみちのくだ。

6人の個性がわかりやすく、お約束ムーブの面白さもしっかり伝わった。

そして空間を最大限に使うルチャリブレの神髄を見せてくれた。

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期待外れに終わったのがFMW

グレート・ニタポーゴ大王の有刺鉄線電流爆破マッチだった。

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第一にリングが別になってしまったことが痛かった。

アリーナ中央にある他団体と同じリングでやろうとすれば、

有刺鉄線への貼り替えや爆薬の設置で多くの時間を費やし、間が空いてしまう。

せっかくここまで作り上げてきたムードが台無しになるおそれがあった。

そこで左翼スタンド前に予めFMW専用のリングを設営しておき、

試合直前までベールに包んで隠しておく、という方法を採ったのだ。

時間的にはスムーズになるのでこれは致し方ない。

しかしリングの位置が端っこすぎて観客からはリング上の攻防がよく見えず、

ほとんどのファンがバックスクリーンの映像で確認せざるを得なくなった。

ファンが既にこの試合形式に慣れてしまっていたことも大きかった。

これでは会場が一体になることはできない。

さしたる盛り上がりも感じられないまま、試合は終わった。

象徴的だったのは、ニタが退場している最中に次に登場する全日本勢に対して

「ゼンニッポン」コールが沸き起こったことだ。

FMWと大仁田にとってこれは屈辱だっただろう。

 

そして、いよいよこの日の目玉ともいえた全日本だ。

三沢光晴川田利明田上明、小橋健太、スタン・ハンセン、ジョニー・エース

による6人タッグマッチ。

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2.10東京ドームの後、全日本は選手を他団体のリングに一切上げなかった。

馬場が採った、所謂「鎖国政策」だ。

自団体の試合内容の完成度をひたすら高め、付加価値を上げていったのだ。

他団体との交流は"劇薬"だ。

一時的には大きな効果があるが、飽きられるとファンはそれを上回る刺激を求める。

際限がなくなり、もう自団体単独興行に戻れなくなっていく。

馬場はおそらくその怖さをわかっていたのだろう。

この試合の注目度が圧倒的に大きかった理由は、普段全日本を見ないファンに対して

その凄さをぜひアピールしてほしい、という全日本ファンの期待だったと思う。

他団体と決して交わらない全日本が、実は中でこんな凄い試合をしている。

それをすべてのプロレスファンにわかってほしかった。

1人ずつの入場と、それに対するファンのコールの大きさがその期待値を示していた。

あの地鳴りのような大歓声は鳥肌が立つくらい凄いものだった。

かくして6人の選手たちはいつも通りの試合を展開してくれた。

30分目一杯使って時間切れ引き分け。

勝ち負けよりも"30分も楽しませてくれた"という満足感が遥かに大きい。

この大会に試合を提供したことで、全日本のステージはまた1つ上がった。

 

トリを務めたのが新日本。

橋本と蝶野のシングルだ。

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やはり全日本の後、というのはやり辛かっただろう。

ファンも全日本勢が見せた試合の余韻に浸っている。

それを上回るものを見せなくてはいけなかったのだが、結果そうはならなかった。

十分合格点の内容ではあったが、1つ前のインパクトにやはり食われた。

ちょっと気の毒だなとは思ったが、試合順の関係でありこれは仕方がない。

よく頑張った方だと思う。

 

私はこの大会に北海道から参戦した。

北海道にはスギ花粉がないので楽だったのだが、東京に着いた途端大変だった。

そのため前半はなかなかリング上に集中できなかったのだが、

剛軍団のとき「ショアッ」をやってるうちに楽になってることに気付いた。

「ショアッ」はアレルギー反応をも抑えてくれるのだろうか?

新日本プロレス1990.2.10東京ドーム大会はなぜあそこまで盛り上がったのか?

もう30年以上前の話だ。

昭和から平成へ時代が移る頃、プロレス界は多団体時代の夜明けだった。

全日本、新日本の老舗2団体に加えて第2次UWFFMWが相次いで旗揚げ。

特に第2次UWFの勢いは凄まじく、旗揚げわずか1年半で

東京ドームに進出するという離れ業を演じた。

 

この頃のプロレスファンは、旧来のプロレスに閉塞感を感じていた。

TV中継がゴールデンから夕方や深夜に移行し、「プロレス冬の時代」と呼ばれていた。

新日本は長州力たちの復帰や旧ソ連勢の参戦などがあったものの路線が迷走し、

現状打破を図った藤波辰巳による飛龍革命も結局尻すぼみに終わった。

全日本は鶴龍対決という切り札を持っていたが、全体的に不透明決着がまだ多く、

ジャンボ鶴田とスタン・ハンセンのお決まりの両者リングアウト決着に対して

ファンが怒ってリングにモノを投げ入れる、という事態まで発生していた。

第2次UWFが支持されたのはそういうファン心理を掴んだことにもよる。

キーワードはスポーツライク、完全決着、真剣勝負。

キックとサブミッションを中心にKOかギブアップで勝負が決まる。

いま思えばUWFもれっきとしたプロレスではあるのだが、

当時は一線を画するものとしてメディアにもてはやされていた。

 

そんな時代背景の中で開催されたのが新日本1990.2.10東京ドームだ。

新日本にとっては2度目の東京ドーム興行。

もともと予定されていたメインはグレート・ムタ-リック・フレアー戦だった。

WCWで人気を博したこのカードを逆輸入するイメージだったのだろう。

抜群のプロレス脳を持つこの2人であれば面白い試合にはなったと思う。

しかし、東京ドームをフルハウスにできるカードとはとても思えなかった。

やはり一般社会を巻き込むくらいのインパクトがないと5万人の動員は厳しい。

しかしその後、フレアーの来日キャンセルが発表された。

4月に東京ドームで開催予定だった日米レスリングサミットにおいて、

新日本がWCWとライバル関係にあるWWFと手を組んだことが原因だったみたいだ。

 

かくして2.10東京ドームの目玉が白紙に戻ってしまった。

アントニオ猪木参議院議員になったことで新日本の社長に就任していた坂口征二

全日本のジャイアント馬場社長にこの大会への選手の貸し出しを要請する。

新日本の社長が猪木のままであったら、この話はおそらくなかっただろう。

最初はハンセンだけでも、という話だったが、結局鶴田や天龍源一郎といった

トップどころまで貸し出されることが決定し。事態は風雲急を告げた。

にわかに両団体による対抗戦というムードが盛り上がり、

「プロレス界のベルリンの壁崩壊」と言われた。

  

当時の私は高校生だったが、衝動的にチケットを買ってしまった。

対抗戦はTV中継されないだろうから、行かないと見られないと判断したからだ。

試合は土曜日だったが、当時の高校はまだ「半ドン」があって、午前中は授業だ。

試合開始は6時なので、授業が終わってすぐに新大阪からひかりに乗れば間に合う。

私は車内のトイレで着替えを済ませ、6時ギリギリにドームに入った。

 

期待感に胸を膨らませていた満員の観客は、前半からデキあがっていた。

負傷した藤波の代役としてラリー・ズビスコAWA王座に挑戦したマサ斎藤

ベルトを奪取した瞬間の大歓声はそのまま続く対抗戦への序章だった。

東京ドームに鳴り響く「J」。

新日本の会場でこの曲が流れていることが信じられない。

私は声の限り「ツ・ル・タ・オー!」コールを叫んでいた。

谷津喜章と組んでの木村健吾木戸修組戦。

谷津にとっても久々の新日本マットだ。

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試合内容よりも鶴田が実に楽しそうに試合をしている。

最後は木戸をフライングボディシザースで余裕のピンフォール

私は希少性から考えて、この日のハイライトはこの試合だったと思っている。

 

続く天龍、タイガーマスク組-長州、ジョージ高野組戦。

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天龍と長州は対戦経験があるため、鶴田の試合ほどの新鮮味はなかった。

その代わり、両者がライバル心剥き出しでやり合う無骨な展開が懐かしかった。

試合は天龍組がリングアウト勝ちを拾った。

 

続くハンセン-ビッグバン・ベイダー戦。

ベイダーが持つIWGPのベルトを賭けた外国人版の対抗戦だ。

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結果は両者リングアウトだったが、この結果に怒るファンはいなかった。

とにかく試合内容が素晴らしすぎた。

文字通りの肉弾戦。

両者の持ち味が存分に出ていた。

今大会で一番ドーム向きのカードといえた。

 

セミファイナルがなんと元横綱北尾光司のデビュー戦だった。

相手はクラッシャー・バンバン・ビガロ

北尾の良さをなんとか引き出すための相手としては申し分ないチョイスだ。

しかし、そのビガロをもってしても北尾の拙さが露呈してしまった。

まず入場で失笑を買った。

ド派手な衣装にサングラスまでかけている。

デビュー戦に向かう新人選手の出で立ちではない。

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それでも試合内容で唸らせてくれればまだ良かったのだが、

とにかくビガロにおんぶに抱っこでところどころ笑いが起きる。

最後は走る方向を間違えたギロチンドロップでビガロからピンフォール勝ち。

この試合でプロレス界における彼の立ち位置が決まってしまった感がある。

 

そしてメインが猪木、坂口組-橋本真也蝶野正洋組の親子世代対決。

試合前の猪木のビンタ騒動と橋本による「時は来た」発言で有名なあの試合だ。

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試合は橋本組のほぼ一方的な展開であり、衰えた猪木が痛々しいほどだった。

最後は猪木の延髄斬りでフィニッシュとなったが、この試合のハイライトはこの後だ。

マイクを持った猪木が観客に語り始める。

引退発表かと思ったがどうやらそうではないみたいだ。

「最後にひとつ、気持ちのいいやつをやらせて下さい!」

「いいですか、1、2、3でダーです」

スタンドが笑いに包まれるが、なんか猪木らしくていい。

そして猪木による号令だ。

「イーチ、ニー、サーン、ダァーーーーー!!」

観客全員が手を突き上げて叫んだ。

その後多くの芸人なんかが真似ることになる「123ダー」の原点がこれだ。

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こうして2.10東京ドームは大盛況で幕を閉じた。

それまでプロレス界を覆っていた澱んだ空気を一掃するものだった。

いまのファンにはなかなか理解されないだろうが、全日本と新日本の選手が

同じリングに上がって戦う、ということ自体が当時はあり得なかったのだ。

それまでまったく捌けなかったチケットが飛ぶように売れたことを考えても、

いかにファンが刺激に飢えていたかがわかる。

旧来のプロレスの没落を心苦しく見ていた私のようなファンが

歴史の証人になるためにこぞって東京ドームに集結した日だったのだ。

ブリティッシュ・ブルドッグス。

ダイナマイト・キッドとデイビーボーイ・スミスの2人のことだ。

このブログのアイコンにもしてるプロレスラーである。

昭和のプロレスファンである私はこのコンビが大好きだった。

とにかく格好いい。

キッドのスピードと凄まじい技のキレ、スミスの並外れたパワー。

しかし私がこの2人を最も評価しているのは「やられっぷり」の良さだ。

特にキッド。

初代タイガーマスクの魅力をあそこまで引き出したのはキッドの抜群の"受け"だ。

ローリングソバットを食ったときの派手なリアクション。

ショルダースルーは天井高く投げられる。

デッドリードライブで叩きつけられればマット上でバウンド。

これぞプロレスラーである。

自分より遥かに大きいハンセンやブッチャーにもまったく臆することなく

ぶつかる姿にファンは大きな声援を送った。

89年、武道館のハンセン&ゴディ組戦でゴディ相手に繰り返しタックルを挑み、

数回目でようやく倒した後の高速ブレーンバスターには心底痺れたものだ。

私も一度だけ会場でリングに向かう2人を間近で見たことがある。

ハンセンやシンのように暴れるわけではないが、ファンを寄せ付けない殺気があった。

触ろうと近寄ろうものなら眼光鋭く睨まれ冷たく手で払いのけられる。

キッドは決して笑わないし花束も一切受け取らない。

あの「凄み」を出せるレスラーはなかなかいるものではない。

残念ながら2人ともこの世を去ってしまった。

キッドの死去はネットニュースでも見たが、現役時代に多用していたステロイド

影響したのだろう、晩年の変わり果てた姿に胸が痛んだ。

今でも全日本時代のテーマ曲「カーウォーズ」を車で聴きながら当時を偲んでいる。