贅沢品から生活必需品へ。 -私の "お弁当感" の変遷-
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今週のお題「お弁当」。
私が通っていた保育園は珍しく給食制だった。
週に1日だけ弁当の日があり、その日が待ち遠しくて仕方がなかった。
そして小中学校もやっぱり給食。
弁当の日はなく、持って行けるのは運動会と遠足の日だけ。
弁当がますます特別なものになった。
高校生になると給食がなくなるため、弁当を持って行くことになる。
弁当への憧れがあるので最初のうちは喜んで持って行くんだが、
高校には学食という強力なライバルが存在する。
私も1回利用してその虜になった。
まずなんといってもあったかい。
そして定食だけじゃなくて麺類とかカレーとか選ぶ楽しさがある。
さらにそれらが300~400円の超安価とくればグラつくのも当然だ。
いつしか弁当は冷たいからいらない、と母に告げて学食生活に。
結局高校生のうちに弁当への渇望感が戻ることはなかった。
そして時は流れて社会人。
職場にも食堂があり、メニューも価格も学食とそう変わらない。
独身のときは寮生活のため調理ができないので食堂利用が当たり前だったんだが
結婚してから潮流が変わる。
子供が産まれてしばらくするとかかるお金が徐々に増えていくため、
不要な費用を削ろうとする節約志向が強くなる。
真っ先に槍玉にあがったのが私のお昼代だ。
妻が言ったわけではなく自分でそう思った。
家計の管理をやってるのが私だから。
1回の利用で平均350円程度としても月間で8000円近くかかることになる。
家計の中でこの金額は無視できない大金だ。
これを弁当に変えるだけでまるまる8000円出費が減る。
弁当のための食材費が新たにかかるじゃん、と最初は思ったが事実上それはない。
毎日の食卓の残り物を詰めるだけだから。
昼を弁当にしてもそうしなくても買う食材や作る量は変わらない。
残りものを無理して消費するか捨てるか弁当で効率よく消費するかの違いだ。
そう考えて再び弁当生活を始めて10年近く経つ。
自分の弁当は毎朝自分で詰める。
別に妻にやってもらってもいいし頼めば喜んでやってくれるんだが
量とか種類を自分の好きなようにレイアウトしたいのでセルフでやる方がいい。
やってもらう罪悪感とかもないし非常に気楽だ。
最近は高校生の娘と冷凍食品をシェアすることも増えた。
たまに手作り以外のややジャンクなものを食べると非常においしい。
多分このスタイルは社会人引退するまで続くんだろう。
かつてはハレの日だけの贅沢だったお弁当が、金銭的な理由から必要不可欠になった。
経済的なこと気にしなくて良かった若いときって贅沢な時間だったんだなと思うね。