人生の雑記帳

思ったこと。気付いたこと。疑問。後悔。思い出。忘れたくないこと。そんなことを書き留めよう。

「完食指導」は是か非か? -昭和の食育を思い出してみる。

\読者登録おねがいします/

今日のネットニュースに出てたんだが何やら「会食恐怖症」という病気があるらしい。

人と食事をすることになったとき

「全部食べられるだろうか?」

「残しちゃ失礼だ」

などと考えてしまい恐怖や不安、吐き気などの体調不良を引き起こすんだそうだ。

原因はいくつかあるんだろうが、主たるものは日本に蔓延る「完食指導」らしい。

残すのはもったいない、という自分自身の判断で無理して食べることもあるが、

多くは学校の先生や親からの高圧的な指導によるものだ。

苦手なものはなかなか喉を通らないから、どうしても時間がかかる。

給食の時間が終わり、昼休み⇒掃除の時間になっても食べさせられる。

果ては午後の5時間目が始まっても食べ終わるまで晒し者にされる。

これはもう指導とかじゃなく拷問、イジメに等しい。

現代は最初に減らしてもいいとか残しても可とか柔軟になってきたみたいだが、

子供には苦手なものって多いし、牛乳なんて最たるものじゃないだろうか。

f:id:Donchang:20210603175619p:plain

 

私が子供の頃もそんなトンデモ指導が日常的で当たり前にあった。

先生による体罰・・・いや暴力が普通にあった頃なのでさもありなんだ。

加えて私自身の好き嫌いも多く、さらに給食も牛乳もとにかく「マズい」。

パンなんてもう固くて固くて石膏でも入ってんじゃないかと疑うくらいだ。

毎日隠れて8割方残しては犬にやってたもんだ。

さすがに5時間目まではなかったが、何度か掃除時間まで残された経験はある。

 

私は鶏肉の皮が大の苦手だった。

これは今も変わらない。

嫌いなものが入ってるメニューの日に限って、たくさん盛られてるものだ。

ひとつずつ息を止めて流し込むわけだが、やっぱり苦手なものはそれでもキツい。

想像するだけで戻しそうになり、全然量が減らない。

食べ切ろうと努力することよりも、ただ周りの視線に耐え続けて

先生が「もういい」と言ってくれるのをじっと待っているだけの時間だ。

何の食育にもなっていない。

 

もうひとつ記憶にあるのがさらに酷いものだ。

給食ではパンにつけるマーガリン(納豆についてるからしみたいな袋入りのやつ)が

1つついてくるんだが、脂っぽいだけでつける気すらしない代物だ。

その日もパンと一緒にマーガリンも巾着に入れて持って帰ろうとしていたのだが、

運悪くその瞬間を担任の先生(女・・・いやバ〇ア)に見つかってしまった。

感じからして50前後の人だったと思うが、とにかく底意地が悪く、

保護者からの評判も最低レベルの担任だ。

私に歩み寄った先生は言い放つ。

 

「今隠したものを出しなさい」

「持って帰るのは許しません」

そしてあろうことか

 

「今すぐここで食べてしまいなさい」

 

当時の私は小学3年生だ。

まだ体罰も当たり前のようにあり、先生に言われたことには従うしかない。

反発したらビンタが飛んでくることがわかっていたからだ。

私は先生に言われた通り、マーガリンの封を切って口に含んで食べ始めた。

想像すればわかると思うが、マーガリンなんて単体で食べるもんじゃない。

それを子供に無理やり食べさせるのだ。

何口か食べたところで当然ながら気持ち悪くなる。

半分くらい頑張って食べただろうか。

先生がいなくなった隙に残りは捨てた。

その日の午後はもう口の中がとにかく気持ち悪くて仕方がなかった。

何度も水をガブ飲みしたが、口の中からなかなかマーガリン臭が消えない。

元に戻るまでに2日くらいかかっただろうか。

あの先生の悪行は他にもいっぱいあるが、このときの仕打ちは忘れられない。

このあたりの先生の考え方は上官の命令は絶対服従の戦中の思想に近いな。

 

食べるものについては残さないことよりも食べ切れる量にすることの方が大事だ。

勝手に山のように盛っておいて「残すなよ」はないよな。

逆に食べ放題で残すのはもってのほかだ。

自分で食べたいものを好きな量だけ取ってきてるんだから。

かと思えば中国なんかでは残すことが礼儀、みたいな文化がいまだにある。

食べ切ってしまうと「足りないよ」という意味になってしまうという考え方だそうで。

どっちも極端なんだよな。

日本でも各自が食べられる量を、っていう給食指導が増えてきたし

中国でももっと食べるものは大切にしようよ、という考えが広まってきてるらしい。

ようやくこういう問題の落としどころを見つけつつある、ってことなんかな。