子供の質問に答える。 -なぜ勉強しなくてはいけないのか?-
\読者登録おねがいします/
子育てをしていると答えにくいことを聞かれることがある。
「なんで勉強なんかしないといけないの?」
勉強が好きな子供はいい。
だいたいが勉強嫌いな子供が親に聞く常套句だ。
世の親たちは何と答えているのだろうか?
将来のために必要だから?
確かにその通りなんだが、
仕事したり生活するにあたって因数分解使う?
日本の歴史知らなくても生きていけるよ?
そう返されると答えに詰まってしまう。
日本は学歴社会だから?
確かに今も学歴重視であることは間違いない。
そして実際面接だけでフィルタリングされることを考えればある意味正しい。
でも子供は反発するだろう。
「学歴で人間の価値は決まらないんでしょ?」
うーん、確かにそれもそうだ。
学歴なんてなくても立派にやってる人は大勢いるし、逆もまた然りだ。
まあ学歴自体はないよりはあった方がいい。
結果必要のない仕事をすることになったとしても、将来のことなんてわからない。
スポーツで食べていくこと一本に絞っていたがために学問をおろそかにした結果、
怪我をしてしまったら、というパターンもあるからだ。
選択肢を広げておくためにはあって損はないものだ。
まあ、子供が勉強に真剣に取り組むための理由としてはちょっとドライだ。
私が実際に子供からこれを聞かれたときに、こう答えてみた。
「考え方の引き出しを増やすためだよ」
例えば因数分解。
知らなくても直接的にはなんも困らない。
私自身も社会人になってから子供の公文式の課題以外でお目にかかったことない。
でも考えてみるとすごい発想なのだ。
X2-X-6=0
これが成り立つためのXを求めるのはどうしたらいいんだろうか?
1から順に入れて確かめるのは大変だ。
答えが整数であるとも限らない。
でも因数分解してみると
(X-3)(X+2)=0
という形になり、あっという間に答えがわかる。
こういう柔軟な発想もできるようになるための訓練なんだと。
図形の問題とか歴史や地理、音楽に至るまで全部同じ説明で通用する。
いろんな分野の学問に触れて学んで考えて悩むことこそが大切なのだ。
決してごまかすためではなく、私自身本当にそう思っている。
生活に役に立つか立たないかはともかく、教養を増やすことは考え方を豊かにする。
発想の引き出しも増える。
役に立たないと思っていた知識だって、間接的にどこかできっと役に立っているのだ。
嫌なことや苦手なことから逃げたくなるのは子供も大人も同じだ。
でも大人になると逃げていられないことばかりになる。
嫌でもやらなくてはならないのだ。
そのための練習ということもできる。
まあ中学生くらいになると子供自身もなんとなく
「イヤやけどやらんとアカンのやろな」
ということがわかってくるみたいだから不思議なものだ。
親が子供の前で恥をかかないように、こんな答え方もあるよー、という程度の話。