人生の雑記帳

思ったこと。気付いたこと。疑問。後悔。思い出。忘れたくないこと。そんなことを書き留めよう。

卒業アルバムからの卒業。

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今週のお題「〇〇からの卒業」。

私が今すごく考えてるのは「卒業アルバム」からどうやって卒業するか、だ。

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私は2年前に母を亡くした。

父は健在だが高齢であり、心の準備はしておかなくてはならない。

母の遺品とかをどうするかは当面は父の判断に委ねているが、

最終的には私たち子供、つまり遺族が判断しなくてはいけない。

いつか来たるそのときを想像していて、ちょっと困ったのがやはりこれだ。

 

思い出。

 

服とかはまだいい。

問題は写真、つまりアルバムだ。

両親が遺したアルバムだから、被写体のメインは私たちだ。

だが、あくまで親目線の写真であり、私たちが覚えていないことも多い。

でもやっぱり親が私たちへの想いを乗せて撮りだめてきた写真だ。

簡単には処分しにくい。

でももらって帰るにはかなりボリュームがあり、

きょうだいで分けても困るくらいのスペースを取る。

正直言うと「いらないんだけど捨てにくい」のだ。

 

このことを考えていて思ったのが、私が同じように年老いた後のこと。

アルバム類は昭和のものよりだいぶ軽くて少ないし、デジタルデータなので

アルバム自体を捨ててもデータを残すことは可能だ。

まあ私自身は死んだ後に捨てようが燃やそうが好きにしてくれていいんだが。

私の子供たちの写真なので、それこそ遺された側が判断しても差し支えないはずだ。

でも問題は「卒業アルバム」だ。

小中高とご丁寧に3冊もある。

被写体に写っているのは当然のことながら、親である私だ。

しかも子供たちの記憶にない、十代の若かりし頃だ。

こんなものを遺されても多分困る。

卒業アルバムを見るのは基本卒業した本人だけだ。

あとは友達と見せ合って、この子が可愛いとかカッコイイとかの品定めや、

お前の彼女だった子ってどの子?とかのネタで使われるくらいだ。

それも卒業してせいぜい1~2年くらいだろう。

 

自分の死後に子供を困らせるくらいなら元気なうちに処分したい。

いつかやろう、程度に思っていたらきっと動けなくなるまでやらない。

でもきっかけがないと多分できないので、父が亡くなった際に通るであろう

私の両親の思い出を処分するときに一緒にやってしまおうと思う。

雛人形のお題のときも書いたが、心情的に処分に困るものについては

お焚き上げという方法だってある。

donchang.hateblo.jp

 

生業としている業者もあれば、寺なんかで受けてくれるところもある。

昔の人はものを大切に使う人が多くて、私の両親もやはりそうだ。

でもその反面、もう使わないとわかっているのに置いているだけのものも多い。

私はそのへんは割り切って、使わないのなら処分する方向へ舵を切りたい。

アルバムだってこの先見ることがないのならゴミと同じだ。

これは絶対にやろうと思う。